妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈 (神谷湛然 訳)

妙法蓮華経観世音菩薩普門品

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   妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈

  湛然訳

  妙なる姿をそなえておられる世尊よ。私(無尽意菩薩)は重ねてこのことを尋ねます。仏の弟子である者に何故に観世音(観自在)と名づけられたのですか?妙相を具足された世尊は偈をもって無尽意菩薩に答えられた。あなたよ、この観自在の行いをよく聴きなさい。ほうぼうの所、宇宙一杯の至る所でよく応えんと、このひろき誓いは海のごとく深く、しかも想像を絶する永遠にわたって果たんとされたのだ。無数の仏たち即ち一切宇宙一杯を従えて大いなる穢れなき誓願を発したことを。私はあなたに簡単に説こうと思う。観自在の名を聞き、観自在の姿を見て、心に空しく過ごさじとして一心に観自在を思うならば、諸苦をよくなくすることができるだろう。一切は実体がなく転変とした有りようでありながら如是として存在していることにはっきり気づいたならば、いや気づかないとしても如是が如是として行じているならば、その如是の力(これを観自在力とか観音力ともいう)によって、諸苦は実体がない現象にしか過ぎず、執着から離れば安穏として冷静に対応できるのだ。誰かがあなたを害しようとして怒りの燃え盛る炎の中に押し落とそうとされた時、この如是の力に任せ切ったならば怒りの火は忽ち鎮まって穏やかになるであろう。また欲望の大海に溺れていろいろな困難に遭った時、この如是の力に任せ切ったならば欲望の海から救い出されるだろう。また有頂天な時に誰かがあなたをそこから蹴り落とそうとしたとき、この如是の力に任せ切ったならば太陽のように全体を俯瞰して物事を冷静に客観的に見ることができるだろう。また悪だくみする人が追いかけてきて高見から地獄の谷底に落とされた時、この如是の力に任せ切ったならば身心ともに傷すくことなく生きていくであろう。また悪だくみする人があなたを取り囲んであなたを滅茶苦茶にしようとされた時、この如是の力に任せ切ったならば彼らは慈しみの心を起こしてあなたを解放するだろう。また権力者の逆鱗に触れて刑に処せられようとされた時、この如是の力に任せ切ったならばそれに屈することなくあなたを粉砕することはできないだろう。またあなたの生き方に対して手枷足枷されてがんじがらめに縛られた時、この如是の力に任せ切ったならばその縛りから解放されるだろう。また呪いや毒の類であなたを害しようとされた時、この如是の力に任せ切ったならばその呪いや毒の類はあなたにではなくそれをたくらんだ者にかえって降りかかるであろう。またいろいろな恐怖・誘惑・いつわり・欺き・毀誉褒貶にあった時、この如是の力に任せ切ったならばことごとく害されることはないだろう。またさまざまな恐怖に囲まれた時、この如是の力に任せ切ったならば恐怖は早速去ってしまうであろう。また恨みつらみねたみそねみ悪口の毒気が噴出された時、この如是の力に任せ切ったならば静かに向こうへ去ってしまうだろう。また怒りの雷が轟いて凄まじい閃光が閃いどしゃぬりの苦境にさらされた時、この如是の力に任せ切ったならば一気に怒りはどこかへ消え去ってしまうだろう。すべてのものの苦しみ災い、計り知れないたくさんの苦は一気に消え失せる。この如是の不可不思議な力はこの世界を苦しみからよく救い出す。人知では計り知れない力をもって広く修行されてさまざまな方法を知っている。あらゆる所において現れないということはなく、さまざまの悪しき世界即ち地獄餓鬼畜生・生まれいづる苦しみ・老いる苦しみ・病にかかる苦しみ・死から逃げられない苦しみ、一切の苦しみは一気に消え失せて無くなってしまう。如是の力は、真実であり、清浄であり、広く大いなる智慧であり、慈悲の力である。仰いで見なさい。穢れなき清浄な光が智慧の太陽が闇を破り、災いとがをよく平服し、この世界をあまねく明るく照らすことを。いつくしみ雷を起こして慈愛に満ちた妙なる大いなる苦もが涌き出てこのうえない教えの雨が降り注いで煩悩の炎が覗かれる。言い争いやいささかいで威嚇脅迫などの恐怖にさらされようとした時、この如是の力に任せ切ったならばすべての恨みは悉く退散して消え失せるだろう。不可思議な力であり、自由自在の力であり、この上ない大いなる力であり、限りない海の潮のごとき無量無限の力であり、この世界のどの力よりも勝れる力である。是ゆえに、生きとし生けるすべてのものは如是の力は無垢清浄であり、苦悩や恐れ災いをよく平服するであろう。一切の功徳を供え、慈しみの眼をもって一切を見つめ、海のごとく無量の福が集まって降り注ぐことを決して疑ってはならないことをよくよく怠ることなく心しておきなさい。この故に如是の力に深く礼拝しなさい。
  仏陀が説き終わった時、持地菩薩(地蔵菩薩)は座から立ち上がって前に進み出て仏陀に申し上げようとして言った。世尊よ、もし、人々がこの如是の自在なる力があまねくどこでもいつでも現前する不可思議な大いなる力を聞いたものは、まさにその人の功徳は少なからず無量であることを知るべきですと。仏陀がこのあまねくあらわれる力の教えを説いた時、ここに集まった一切の無数の人々はみなこの上ない比べようのない最上の悟りの心をおこしたのである。即ち、認識以前に感情以前などそういう思い以前に如是を如是として感得したのである。

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妙法蓮華経観世音菩薩普門品ゲ (神谷湛然 訳)

         妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈

  湛然訳

  妙なる姿をそなえておられる世尊よ。私(無尽意菩薩)は重ねてこのことを尋ねます。仏の弟子である者に何故に観世音(観自在)と名づけられたのですか?妙相を具足された世尊は偈をもって無尽意菩薩に答えられた。あなたよ、この観自在の行いをよく聴きなさい。ほうぼうの所、宇宙一杯の至る所でよく応えんと、このひろき誓いは海のごとく深く、しかも想像を絶する永遠にわたって果たんとされたのだ。無数の仏たち即ち一切宇宙一杯を従えて大いなる穢れなき誓願を発したことを。私はあなたに簡単に説こうと思う。観自在の名を聞き、観自在の姿を見て、心に空しく過ごさじとして一心に観自在を思うならば、諸苦をよくなくすることができるだろう。一切は実体がなく転変とした有りようでありながら如是として存在していることにはっきり気づいたならば、いや気づかないとしても如是が如是として行じているならば、その如是の力(これを観自在力とか観音力ともいう)によって、諸苦は実体がない現象にしか過ぎず、執着から離れば安穏として冷静に対応できるのだ。誰かがあなたを害しようとして怒りの燃え盛る炎の中に押し落とそうとされた時、この如是の力に任せ切ったならば怒りの火は忽ち鎮まって穏やかになるであろう。また欲望の大海に溺れていろいろな困難に遭った時、この如是の力に任せ切ったならば欲望の海から救い出されるだろう。また有頂天な時に誰かがあなたをそこから蹴り落とそうとしたとき、この如是の力に任せ切ったならば太陽のように全体を俯瞰して物事を冷静に客観的に見ることができるだろう。また悪だくみする人が追いかけてきて高見から地獄の谷底に落とされた時、この如是の力に任せ切ったならば身心ともに傷すくことなく生きていくであろう。また悪だくみする人があなたを取り囲んであなたを滅茶苦茶にしようとされた時、この如是の力に任せ切ったならば彼らは慈しみの心を起こしてあなたを解放するだろう。また権力者の逆鱗に触れて刑に書処せられようとされた時、この如是の力に任せ切ったならばそれに屈することなくあなたを粉砕することはできないだろう。またあなたの生き方に対して手枷足枷されてがんじがらめに縛られた時、この如是の力に任せ切ったならばその縛りから解放されるだろう。また呪いや毒の類であなたを害しようとされた時、この如是の力に任せ切ったならばその呪いや毒の類はあなたにではなくそれをたくらんだ者にかえって降りかかるであろう。またいろいろな恐怖・誘惑・いつわり・欺き・毀誉褒貶にあった時、この如是の力に任せ切ったならばことごとく害されることはないだろう。またさまざまな恐怖に囲まれた時、この如是の力に任せ切ったならば恐怖は早速去ってしまうであろう。また恨みつらみねたみそねみ悪口の毒気が噴出された時、この如是の力に任せ切ったならば静かに向こうへ去ってしまうだろう。また怒りの雷が轟いて凄まじい閃光が閃いどしゃぬりの苦境にさらされた時、この如是の力に任せ切ったならば一気に怒りはどこかへ消え去ってしまうだろう。すべてのものの苦しみ災い、計り知れないたくさんの苦は一気に消え失せる。この如是の不可不思議な力はこの世界を苦しみからよく救い出す。人知では計り知れない力をもって広く修行されてさまざまな方法を知っている。あらゆる所において現れないということはなく、さまざまの悪しき世界即ち地獄餓鬼畜生・生まれいづる苦しみ・老いる苦しみ・病にかかる苦しみ・死から逃げられない苦しみ、一切の苦しみは一気に消え失せて無くなってしまう。如是の力は、真実であり、清浄であり、広く大いなる智慧であり、慈悲の力である。仰いで見なさい。穢れなき清浄な光が智慧の太陽が闇を破り、災いとがをよく平服し、この世界をあまねく明るく照らすことを。いつくしみ雷を起こして慈愛に満ちた妙なる大いなる苦もが涌き出てこのうえない教えの雨が降り注いで煩悩の炎が覗かれる。言い争いやいささかいで威嚇脅迫などの恐怖にさらされようとした時、この如是の力に任せ切ったならばすべての恨みは悉く退散して消え失せるだろう。不可思議な力であり、自由自在の力であり、この上ない大いなる力であり、限りない海の潮のごとき無量無限の力であり、この世界のどの力よりも勝れる力である。是ゆえに、生きとし生けるすべてのものは如是の力は無垢清浄であり、苦悩や恐れ災いをよく平服するであろう。一切の功徳を供え、慈しみの眼をもって一切を見つめ、海のごとく無量の福が集まって降り注ぐことを決して疑ってはならないことをよくよく怠ることなく心しておきなさい。この故に如是の力に深く礼拝しなさい。
  仏陀が説き終わった時、持地菩薩(地蔵菩薩)は座から立ち上がって前に進み出て仏陀に申し上げようとして言った。世尊よ、もし、人々がこの如是の自在なる力があまねくどこでもいつでも現前する不可思議な大いなる力を聞いたものは、まさにその人の功徳は少なからず無量であることを知るべきですと。仏陀がこのあまねくあらわれる力の教えを説いた時、ここに集まった一切の無数の人々はみなこの上ない比べようのない最上の悟りの心をおこしたのである。即ち、認識以前に感情以前などそういう思い以前に如是を如是として感得したのである。

1957年奈良県生まれ。1981年3月名古屋大学文学部卒。書店勤務ののち、1988年兵庫県浜坂町久斗山の曹洞宗安泰寺にて得度。視覚に障害を患い1996年から和歌山盲学校と筑波技術短期大学にて5年間、鍼灸マッサージを学ぶ。横浜市の鍼灸治療院、訪問マッサージ専門店勤務を経て、2021年より大阪市在住。
 仏教に限らず、宗教全般・人間存在・社会・文化・政治経済など幅広い分野にわたって配信しようと思っています。
このブログによって読者のみなさまの人生になんらかのお役に立てれば幸いです。
         神谷湛然 合掌。

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