5.再び、‘仏’ということ  (神谷湛然 記)

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 5.再び、‘仏’ということ

 前章では、「仏」をめぐるさまざまな観念と、マッサラな目で世界を見ることの難しさを展開したものであった。
 今から23年前(2000年)の11月に縁あって広島県にある少林窟道場にお世話になった。道場主である井上希道老師の手施しの下、隙のない坐禅と食事や歩き・掃除等の日常生活における一挙手一投足の丁寧さに心したおかげで、まったくつきものが取れたように透脱したのであった。お世話になって三日目の朝、道場裏を竹ぼうきで掃除して石垣の間に生えている草を抜こうとした時、草そのものが私の目に飛び込んできて私そのものがその草にまるごとなってしまった。私の手と草に境目がなくなって草が草を抜いてそのまま草しているという有様であった。丈ほうきも私と一体となって左にいけば私も左に行き、右にいけば右に私も同時に右に行く。なんの念もなくストレートに事が進むのであった。食べ物を噛むときは噛むだけ。歩くときは歩くだけ。髪そるときはそるだけ。鍼灸師でもある私は老師を針したときがあるが、まさに私自身が針そのものとなって私自身が老師の体に入ってコリを確認してそのコリが私自身とともに和らいでいったのであった。なんのまじりけもなく感覚が脳の深部にじかに突撃していくさまは、釈尊が菩提樹の下で八日間瞑想した明朝の東の空に輝く金星を見て‘山川草木悉皆成仏’といったものであった。釈尊は明けの明星と一体となったのであった。どちらがぢゃくそんなのかどちらが明星なのか・・・。世界が世界を世界しているだけである。5年ほど前に、東京でインドから帰国していた草薙龍瞬さんの坐禅会に参加したことがあったが、帰り道の歩きが一歩一歩足裏から脳天まで隙間なくじかに伝わっていたことを覚えている。喋ってても一歩一歩である。龍瞬さんの瞑想は判断や経験・感情以前の感じる感覚そのおのに成り切るやり方であった。
 思い以前の世界、事実を事実そのものとして味わう有りよう。そこに無窮の宇宙と隔てなく一体となった個の生命の宇宙生命の発現を理屈もなくはっきりと自覚できたことは、私自身の最高の幸運だったと言わねばなるまい。
 それでも、腹立つときは腹が立つ。うれしいときはうれしい。うまいまずいはうまいまずい。問題はそれはそれでおわりということだ。
一年半程前(2021年7月)、妻の母の首を絞め殺そうとしたことがあった。妻の母は認知症を患っていて、義母から離れようとして二階の自室に引っ込んだ時、義母が追いかけるように駆け上がってきて私の自室のドアを何度も叩いたり足で蹴とばしたりしてドアを開けさせようとすることに堪忍袋が切れて、ついに私がドアを開けて義母を向かいの隣室に押し倒して「殺すぞ」と叫んで彼女の首に手をかえようとしたのであった。悲騒ぎを聞いた妻が一回から駆け上がって止めに入って事はおさまったが・・・。そのときの私の頭は表向きの言葉やひきつった表情とは裏腹になにか冷えていてやりきれないものがあった。義母は私を亡くなった夫と同一視して、掃除や風呂掃除・洗濯・洗い物を一切自分にやらせて、あんたは遊んでる、とよく怒鳴っていた。私はいつものどおり妻と家事分担して風呂や二階の掃除、洗濯や洗い物の手伝いをしていたのであるが、そのときは、「男はそんなことをするものではない」とたしなめたりしていて、認知症とはわかっていても自分のほうが気が変になるほどであった。認知症は血縁関係のない同居人をイビリたがる傾向があるとはいえ、まったくまいったものであった。結局、実の娘二人、つまり私の妻と千葉に住んでいる妻の妹とも言い争いやいざこざもあって警察のお世話になることが難解か生じ、義母の姉妹や弟・新親戚も遠巻ききに様子見するありさまになって、まもなく認知症専門のグループホームに入居することになったが。義母自身は五分たつとまったく忘れてしまうので、私が首をかけようとしたことは彼女の記憶にまったくないようであり、今入居しているグループホームを自宅と勘違いしているようなところがある。認知症の人と四六時中生活をともにしての半年間の私の体験は、口では容易いが実際はとても大変だということである。
 大阪に来る前に、横浜で20年間ほど針灸・マッサージの外来や往診(最後の5年間は往診マッサージ専門の会社勤めであったが)、やはり治療のときだけの付き合いだけであった。認知症の患者にありもしない‘いちゃもん’を言われたり、治療中に‘なにする!’と怒鳴られたり、はたまた不意に頭を叩かれたり、鳴かれたり、はたまたおもらしがあったりといろいろと大変な思いをしたことがあったた、それも治療時間の20分から30分の間だけであった。四六時中は妻の母が私にとって初めてであった。
 義母が施設に入居してからは、妻と認知症に関するセミナーを区役所やオンラインで受けたり、関連する書籍を読んだりした。特に、今年2月に区役所であった信友直子さんによる介護ドキュメンタリ映画と講演は信友三自身実体験が語られての具体的で生々しく、それでいながら前向きに家族全員で公的サービスを利用しながらも認知症に立ち向かっていったことに強い感銘を受けた。
 七点八倒しながら現実から離れずに足をつけて人生を歩んでいくことが肝要だと教えていると思う。それでも、81歳の夫が脳梗塞で車いす生活の79歳の妻を40年ほどの介護に疲れた果ての岸壁から海に車いすごと突き落として殺害したという昨年11月の事件はとてもやり切れない思いである。デイサービスやヘルパーなどの公的サービス利用を勧められながらも頑なに拒んで自分一人で背負い込んだといわれている。夫は散歩にいこうといって近くの大磯港まで車で行き、夫が妻を海に突き落とす直前まで、岸壁で車いすに乗っている妻と一緒にしばらく海を眺めていたという。
 信友さんの父も認知症になった妻の介護を初めは‘男の美学じゃ’と言い張って自分一人で背負い込もうとしたという。
 超高齢化社会の進展の中にあってどうすればいいのか、だれもが生きていてよかったと思えるようにしたいものである。私も含めて誰もが認知症ないしその予備軍であることは確かである。認知症は普段の性癖がもろに出る傾向があるようである。感謝を忘れずに生きていく、これこそ仏の行き方であろう。延命十句観音経という経典がある。十の句しかない短いお経であるが、この世界を成り立たせている因縁を思い、因縁に従がい因縁から逸れることのないようにと説いている。さまざまな縁のおかげで自分があることを、特に‘アタマ’の思いが強い人間は自覚する必要があるということである。

1957年奈良県生まれ。1981年3月名古屋大学文学部卒。書店勤務ののち、1988年兵庫県浜坂町久斗山の曹洞宗安泰寺にて得度。視覚に障害を患い1996年から和歌山盲学校と筑波技術短期大学にて5年間、鍼灸マッサージを学ぶ。横浜市の鍼灸治療院、訪問マッサージ専門店勤務を経て、2021年より大阪市在住。
 仏教に限らず、宗教全般・人間存在・社会・文化・政治経済など幅広い分野にわたって配信しようと思っています。
このブログによって読者のみなさまの人生になんらかのお役に立てれば幸いです。
         神谷湛然 合掌。

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