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30.再び、平和について
最近、日本では敵地攻撃能力の保持とか集団自衛権の必要性が当然視されている。中国や北朝鮮、ロシアを念頭にしているといわれている。一見、戦争抑止につながるように思えて、実はなんの役にも立たないことを述べていきたい。
まず、敵地攻撃能力である。広大な中国・ロシアでは日本以上にたくさんのミサイル基地があるとみられている。しかも日本にはない超音速ミサイルを保有している。しかも核弾頭もある。日本が太刀打ちできないことは明らかである。日本が敵地攻撃すれば倍以上のミサイルの雨が東京や大阪などにも降り注ぐであろうことは想像に固くない。北朝鮮に対してはどうか。鉄道による移動式ミサイルや海中からの潜水艦からの発射実験を成功させている。核弾頭も持ち、しかも中国・ロシアが同盟国として背後に控えている。ひとたび敵地攻撃すれば悲惨な結末が待っている。では、相手国から先生攻撃されたらどうするのかと問う人がいるだろう。相手国も日本のアメリカをはじめとする同盟国の力によって悲劇的惨事を彼らの国内にももたらすであろう。結局は戦争は起こりにくいということである。では、なぜ政府岸田政権はトマホーク160発購入を決めたのか。アメリカ軍事団業の利益のために買わされたとみるのが自然ではないだろうか。その証拠に在日米軍はトマホーク配備を見送っている。われらのために武器を買ってくれ、というのが以前からあるアメリカの本音である。
次に、集団的自衛権についてふれていきたい。
すでに安倍・岸田政権によって限定的集団自衛権を法制化している。台湾や朝鮮半島の有事を想定して作られたといわれている。まず、朝鮮半島有事に際しては日本は朝鮮半島にコミットしにくいであろう。なぜなら日本の自衛隊イコール軍隊が朝鮮半島に展開することは韓国人の根深い半日冠状がある。結局、兵站としての後方支援という今までの役割しか果たせないであろう。では、台湾有事においてはどうであろうか。台湾は韓国と違って親日冠状はとても強いといわれている。台湾上で自衛隊がアメリカの同盟国として軍事行動できそうである。そのとき当然、中国は自らに対する妨害分子として沖縄のみならず日本本土をも、日本よりかなり高度な科学技術を総動員してあらゆる手を使って攻撃するであろう。日本をも国内の破滅的結末を覚悟しなければならないことは明白といえる。
以上のように考えたとき、敵地攻撃能力や集団自衛権の行使は日本にも破滅的結果を招くことを覚悟しておくということである。それらを行使することのないよう努力することこそが国家の務めであるはずである。そこを抜きにして戦争ごっこをしようとする輩のうしろには死の商人が見え隠れして仕方ないのである。
軍事専門家や軍人は、戦争を避けるには相手国以上の武力をもつことだと考えている。力こそがすべてだということである。確かに歴史は力によって動いてきた側面はある。しかし、力のないものが勝利した事例がある。戦後の民族自決運動によるお多くの植民地の独立である。その象徴が、マハトマ・ガンジーの非暴力主義によるインドの独立である。アメリカのキング牧師による黒人の公民権運動裳然りである。力のあったソ連はアフ、ガン戦争に敗北してソ連崩壊の遠因となった。力のあるアメリカはベトナム戦争に破れ、アフガン戦争やイラク戦争に明確に勝利できずに自国の経済的疲弊を招いて撤退した。大国の論理は通用しなかったのである。大国は小国に対する戦争にもかかわらず、保有している核兵器を使うことができなかった。国際世論のきびしい目があったからである。もし核を使えば世界中に反米・反ソ感情を高めて国際的信頼を失うことを恐れたからであった。
‘富国強兵’というのがある。明治維新を起こした志士たちは、幕末の列強に対する屈辱的な開国をみて、列強に対抗しうる高い経済力と強い軍事力が必要だと強く感じた。海外から学者や技術者を招待し、国内の優秀な人材をヨーロッパやアメリカに留学させ、帰国後は日本近代化の先導役をさせた。また、学校教育を法制化して国民ひ対する公教育制度を整えて軍隊や工業への多くの優秀な人材養成に努めた。身分制度を廃止して国民皆兵制としたことは国家としての国軍の構築となった。富国強兵のためにまず、すぐれた人材を作り出すことに精を出したということである。つまり、力とは人材である、ということである。
資源の乏しい日本では最大の資源は優秀な人材だとよくいわれてきている。勤勉な国民性と高い教育水準である。丁寧な仕事ぶりが高品質な‘メイド イン ジャパン’を世界に知らしめた。80年代には‘ジャパン アズ ナンバー ワン’と呼ばれたものであった。今では中国がなんばー1ということであろうか。ここ20年、日本ではコスト削減や人件費抑制によって解雇された多くの技術者が中国や韓国等に流出していった。すぐれた研究者も資金の豊かな中国やアメリカに流れていると言われている。そのためか、日本の国債技術力は著しく低下して韓国や中国、台湾にも遅れをとるようになったといわれる。5Gの開発でトップをいうのは中国のファーウェイであり、妻によれば同僚だったソニーの技術者は太刀打ちできない高いレベルだと言っていたという。また、産業のコメといわれる半導体において、昨年の22年に台湾のTSMCがはじめて世界のトップとなったという。2位は韓国のサムスンであり、3位は米国のインテルとなった。トップ10位以内に日本メーカーは一社も入っていないという。入っているのは台湾・韓国・アメリカ・中国のメーカーである。世界企業力ランキングでは昨年にはトップ50位以内に入った日本企業はついに0となった。トヨタも52位と順位を落とした。トップ100位以内でもキーエンスとソニーをあわせて3社のみである。今年23年度版では、国際競争力は世界35位、男女機会均等は世界125位という。しかも年々順位を落としているという。株価を上げることばかりにかまけて人的資源への投資を怠ったツケがまわってきたと私は考える。‘日本にいても面白くない。働き甲斐がない。海外へいったほうがましだ。’という声をメディアを通じてよく聞く。目先の利益に走る企業の保守的風潮が蔓延しているようである。投資への消極的姿勢と膨大な内部留保が指摘されている。
2、30年前、日本の地方都市にも多くの中国人留学生を見かけたものである。アメリカでもアジアからの留学生の大半は中国人学生であった。ハーバード大学の留学生のほとんどが中国系だったという。しかも真摯な学びに満ちていた。国のためだけでなく自分の豊かな未来のために必死であったと思う。中国の改革解放を掲げた鄧小平の‘外国に学ぼう’である。優秀な人的資源こそ国力だと知っていたからである。たぶん、鄧小平は日本の明治維新以降の日本の近代化を研究したのではなかろうか。
‘富国強兵’とは優秀な人材育成とそれへの投資であることを原点に立って見つめなおす時期になってきたようである。敵地攻撃能力の保持とか国大紛争に堂々と軍事力を行使できる国家を作る前に国際競争力を高める優秀な人材を作ることを最優先すべきであろう。それができたとき、スイスのように敵地攻撃も強力な軍隊の必要なく最低限の自衛でもって日本を防衛できるように思うのである。一方、人口560万人の小国シンガポールはアジアトップの国債競争力世界4位である。軍事費は日本の四分の一の約1兆5千億円で、対GDPは約3%と日本の3倍となっている。政府支出予算に占める割合は25%となっている。シンガポールはスイスとは違ってアメリカ並みの軍事国家といえる。ただし、教育費は政府予算の13%で日本の2倍であり、対GDPは約2%である。軍事国家でありながらしっかりと人材養成に投資している。シンガポールは最大の資源は人材であることをよくしっている。しかもシンガポールはアメリカや日本と同様に中国と話ができる。供えはするが、戦争がおこらないよう外交努力するということである。
今の日本は中国やロシア・北朝鮮に喧嘩ばかり売って話すらしようとはしていない。相手に負けじと軍事的挑発を続けて文字通りの世界3位の軍事国家になろうとしている。そのくせ人材養成にお金をけちって教育や科学予算を低水準に抑えている。大学や研究所から雇い止めされる研究者が続出しているとのニュースは貧しい日本の人材投資に愕然とする思いである。安倍によってなされた国立大学の法人化は研究よりも資金集めに奔走して、教育・研究機関としての役割を低下させた。小・中学校でも教師不足と雑務のあまりにも多い過酷な労働は初等・中等教育の劣化をきたしていると聞く。そして有価証券の価値を上げることばかりに金融緩和という名のもとで大量の国債を発行して資金を株に投資した。貧弱な人的資源と金融至上経済は老いた停滞国家となった。未来に投資せずに今の既得権維持・拡大にばかり投資している。
質の高い教育とすぐれた研究が未来を作る。これを実践した明治という時代を見直すべきのようである。
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