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32.‘奇跡のバックホーム’について
元阪神の横田慎太郎さんが先月(23年7月)に亡くなった。享年28歳だという。私は彼をそれまでまったく知らなかった。テレビで彼の訃報が大きく伝えられて、それでもって彼を知った。しかし、テレビで彼の‘奇跡のバックホーム’が何回も放送され、それが脳腫瘍の手術からのカムバックして最初の試合が最後の試合である引退試合でなされたこと、引退後も病魔と戦いながら最後まで全力で生き抜こうとした彼の姿勢に何か引かれる思いがして、それから彼の著作である「奇跡のバックホーム」を読んだのだった。
読んでいる最中に何度か感情がこみあげてきて涙が出そうだった。百田直樹の「永遠のゼロ」と相通じるものがあった。それは、生への執念であると私は思っている。「永遠のゼロ」では主人公の宮部が自分や関わりあう他人に対して何度も‘死ぬな、生きて帰るんだ’と語っていたことが印象的だった。死ぬことが美徳とされた戦中にあって国家反逆罪的なことばである。生きて生きて生き抜くんだ、という主人公の叫びは生命への讃歌に溢れていた。
「奇跡のバックホーム」は、ただ単に将来を嘱望されていた有能な若者が運悪く脳腫瘍という病魔に冒されて早過ぎる夢の断念に追い込まれたという話ではなくて、人生の全部を投じることのできたものを持てた彼は幸せ者だと私は思う。しかし、彼の素晴らしいところは、野球をやめた後も全力で生きたことであった。「奇跡のバックホーム」は人生への全力プレーを身をもって示したといえる。晩年は病魔で体が思うように動かなくなったが、それでも頼まれた講演のために階段を手をつきながら這い上っていったというエピソードは人生への使命感を強く人々に与えていると思う。
彼は現役の頃、守備につく時、ダッグアウトから全力疾走で守備位置のセンターについたという。ダッグアウトでは出番の無い時でも一番大きな声を出して応援していたそうである。高校球児ならよくある光景だが、彼はプロ野球選手になってもその姿勢は一貫していたと聞く。練習量はぴか一であったらしく、監督やコーチに指導してあげたいという気持ちにさせてよく指導を受け、そして、一打席一打席おろそかにしないこと、なぜ打てないのか、なぜ撃てたのか、一つ一つ反省しながら次に臨むことを求められたという。野球を観戦する立場からは伺うことのできないプロの厳しさが記されていて、プロの内奥を思ったものである。
脳腫瘍の手術後、懸命なリハビリと練習によって肉体はほぼ回復できたが目だけは回復できず、視力は1.5になっても物が二重に見え、角度によっては見えないことがあったという。ボールだけでなく、走っている車や歩いている人など動いているものは遠近感覚がつかめにくかったそうである。視覚中枢のある脳の後頭野に腫瘍ができてそれを手術で取り除かれたといわれたが、損傷が残ったのであろう。眼球や網膜、視神経は正常であるのに、事故によって後頭部に強い衝撃を受けて全盲になった人がいることを聞いたことがある。引退後、脊髄腫瘍を発症し、脳腫瘍も再発して生命維持中枢である間脳にも腫瘍が及んで死に至ったのであろうか。私は網膜だけがやられている網膜色素変性症で全盲となっているが、命には別条ない。糖尿病性網膜症や腫瘍による視覚障害、遺伝子異常によって細胞と細胞をつなぐ結合組織が弱くなって全身に異常をきたし、動脈欠陥がゴムのようにふくらんで断裂したり、心臓の弁の閉鎖不全をおこすといわれるマルファン症候群など命に関わる視覚生涯の病気がある。私のよく知っている視覚障碍者が糖尿病で20代で命を失い、鍼灸の先生がマルファン症候群で50代で亡くなった。下垂体上部に脳腫瘍ができて弱視となった40代の人が脳梗塞(軽度ではったが)をおこしてマッサージ店をやめたことがあった。視覚障害にも日常生活にほとんど支障のないもの(斜視や軽度の色弱、屈折異常など)から命に関わる重度のものまでさまざまである。
横田慎太郎さんはどうしても回復できなかった目のためにプロ野球の世界から身を引いたが、そのあと、彼は何をなすべきかをいろいろと考えた末、自分の体験が病に苦しんでいる人々に何らかの力を与えることができるならと、病院訪問や講演・メディアへの出演などの啓蒙活動に自分の使命をみたという。体が衰えて弱気になりかけながらも、再手術に際して、‘絶対に生きて帰ってみせる’という強固な意志は、最初の手術後のカムバックに向けて‘絶対にあの24番を取り返してみせる’という強い決意と同様であろう。困難ではあるけれども目標に向かって全力を尽くす、という彼の生きざまが野球を超えて幅広い人々に感銘と涙を誘うのだと思う。
彼は微笑みながら家族に見守られて臨終を迎えたといわれる。彼の母親のインタビューをテレビで聞いたが、彼と周りのさまざまな人たちへの感謝と人生にについていろりろと教えられたことへの充足感に満ちていたように私は感じた。無念もあっただろうが、それ以上に生き尽くした彼の姿に幸福を感じていたように思えるのだった。
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