/ 67.なぜ、皇道禅に仏教禅は呑みこまれたのか?
戦時中、陸軍軍人を中心に広まった皇道禅という宗教思想があった。私を捨てて頂点に立つとされた天皇に帰一することで悟りを得るとする考えである。戦前は、‘公’とは実質的に、国家の主権たる天皇のことであった。したがって、‘滅私奉公’は、私心を無くして天皇に命を捧げなさい、ということだった。皇道禅は、この‘滅私奉公’の宗教版といえるものだった。
皇道禅は、陸軍中佐の杉本五郎の遺書である「大義」によって大いに広まっていった。無私にして天皇に絶対帰依する杉本五郎の思想に多くの仏教者が礼賛して追随していった様子は、京都大学から発表された「皇道仏教という思想」(新野和暢 著)に詳しく記されている。
そこには、例えば、臨済宗や曹洞宗でよく唱えられる四弘誓願について触れられているところがある。杉本が、「煩悩」を‘朝敵’に、「仏道」を‘皇道’に差し替えたことを絶賛した当時著名な仏教僧侶がいたことを述べている。なぜ、多くの仏教者は禅に限らず皇道仏教に吸収されていったのであろうか。
ある識者は仏教にある‘無我論’にその要因があるという。私は、もっと根本的な問題があるのではないかと思う。
結論から言えば、大乗のいう一切空に徹し切れなかった仏教者の姿にあると見ざるを得ないということである。
「煩悩」も「仏道」も夢幻のごとき空であることを般若経典は懇ろに説いている。であるならば、‘朝敵’も‘皇道’も砂上の楼閣のごとき夢幻の空と見るべきであった。それを当時の仏教者たちは、‘朝敵’とか‘皇道’を実体視して、主体あるものとして絶対視したと思う他ないのだ。
‘如来に声や形を求めるものは、如来を見ることができない。如来は何の相(姿)を備えてはいないのだ。相を備えてはいないがゆえに、相を備えているのである。’と金剛般若経や八千頌般若経は言う。一切空たる如是のありように見通すことができた時、大乗仏教者といえるのだと私は思う。
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