/ 70.知識と宗教について
今年(2025年)3月20日で、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こってから30年が経った。その前に、同年1月17日に阪神淡路大震災があった。その頃、私は高野山に近い、和歌山県かつらぎ町の山中に空き家を借りて生活していた。地震は和歌山でも大きく揺れたので今でも鮮明に覚えている。シカシ、サリン事件の方は、宗教が関わった大変な事件だったために、仏教者として生きていこうとした私には大きな問題を投げかけてきたように思った。
麻原彰晃のオウム真理教は、大川隆法の幸福の科学と共に、特に1980年代後半から90年代前半にかけてもてはやされた新興宗教だった。とりわけ若い人たちが多く参加していた。書店にはこの麻原と大川の本がうず高く積まれていたのを今でもよく覚えている。
この二つの宗教団体に共通する一つに、高学歴者が、それも難関大学といわれている出身者が多かったことだ。これについて、先日の朝(3月23日)のテレビのある番組でコメンテーターが、‘研究によれば、高学歴の人ほど観念にはまりやすいということだ。’と指摘していた言葉が印象に残った。
ヨガや瞑想には、高学歴者やインテリが昔からよく見られる傾向である。幸福の科学の方は、幸福の科学発行の冊子を読んで知識を多く習得することが第一のようなところがあって、受験勉強をしてきた者にとっては馴染(なじ)みやすい方法だったと思う。
東大法科を出た大川隆起法と違って、麻原彰晃は盲学校出でたいした学歴もなかったが、彼の行う、チベットから持ち帰ったヨガと瞑想のおかげで多くの高学歴者を引きつけたと私は思う。それは、東大出の夏目漱石が鎌倉にある禅寺の円覚寺によく参禅に出かけたことと相通じるところがあると思う。たくさんの知識でこんぐらかった頭をほぐすのに瞑想は役に立つことがある。ただし、問題は、場合によってはドラッグをも使いながら、麻原一極吸収のマインドコントロールをされたことである。現代、問題になっている旧統一教会とまったく同じだといえるだろう。
知識は視野を広げるといわれるが、時には世界を狭くすることがある。今まで正しいと思っていたのが、誤りだったということがよくある。それを無視して旧態依然たる知識に拘泥する人たちがいる。逆に、一見、新しいそうな知識に踊らされて盲目的に扇動されることもある。
テレビや新聞などのマスコミやXツイッター・FS・youtubeなどのSNS、学校や社会から得た知識などを私たちはまず本当だろうかと疑うことはあまり無いのではないだろうか。疑いを持ったとしても、自分のフィーリングに合ったものを正しいと見て、他を盲目的に排除するという観念に陥ってはいないだろうか。不都合な事実が現れた時にそれに真正面から対峙できるのか、それによって人の真価が現れてくるだろう。
受験対策に特化した私立学校がますます幅を利かしている。公立校では最近、小中高問わず、教員を巡る労働条件の劣悪化と教員不足が叫ばれている。それによる教育の質の低下がよくいわれている。公立校は私立も含めた教育無償化政策によってさらに私立への流れが加速されていくだろうとある識者は指摘する。受験知識を多く詰め込んだ人が合格しやすいという旧態依然たる有様を見て思うのは、生成AIやディープシークみたいなAIが当たり前になっていく時代にあって、意味あることなのか疑問に思っている。AIは情報ネットワークに入っている今までの知識やデータを検索してまとめあげるだけで、創造的な発想はできない。直観できないということだ。創造的直観力を鍛える教育こそ、ますます問われているのではないかとつくづく思うのだ。
真実は自分の外にあると聞かされる。文系・理系問わず、科学は観察によって得た客観的事実をどう解釈するかで発展してきた。この解釈は創造的直観の無いAIではできない。そのAIに及ばない‘受験秀才’が、麻原の知識ではない‘直観’に自分の無いものを感じ、無味乾燥の知識の屍から逃れるために麻原の‘直観’を求めたように私は感じる。
私の妻の母方の祖父は大工の棟梁をしていた。学校の勉強をすることを嫌い、‘机に向かう暇があるなら、とにかく働け!’、というのが口癖であったようだ。妻の母も、‘働くのがすべてだった’と術懐していた。職人の世界では観念としての知識はあまり値打ちが無いようである。才覚と直観がすべてだという人には、麻原や大川のような宗教に入る意欲はあまり無いように思う。そういう人たちは、地の神とか山や木の神・田や稲の神・海の神・商いの神など、古来からのアニミズム的な信仰でもって感謝と願いを託してきたと思う。
私は30歳で但馬にある安泰寺という禅寺で修行生活を送ったが、よく言われたことは、‘本なんか読んでどうする?! 仕事をちゃんとしろ!’ということだった。
入門してまもない頃、台所当番の先輩雲水について台所仕事の見習いをしていた時、ご飯をかまど(ガスは無く、薪木を燃やして料理していた)で炊いている途中に、当番のその先輩に了解をもらって東司(とうす・トイレのこと)に小用を足して手を洗っている私に向かって、当番のその先輩が駆け込んできて「何してる! 早く来んか!」と私をどやしつけながら足蹴り一発かましてから私の腕を力づくで引っ張りながらかまどへ急ぎ足で向かわされて、沸騰しているご飯の釜から吹き出す蒸気を凝視させらてたことがあった。理屈抜きの実練である。愚痴も文句も言わせない実地訓練である。概念と観念で遊んできた私には異次元の世界だった。
実地から知識や物事を見るということ、このことを身をもって学んだことは幸いだったと、後になって感じたものである。
物事の本質は何なのかが見えず、知識という観念の渦に溺れている者にとって、麻原の‘直観’は魅力的に映ったのではあるまいか。しかし、その‘直観’を麻原にのみ求めたところにオウム信者の取り返しのつかないサリン事件まで引き起こしてしまったといえるのではないか。天皇にすべてを奉じた戦前のありさまと同じに見える。‘直観’は自分にこそ求めるべきであって、教祖などというものは道を求める上での一つのツールにしか過ぎないことを求道者も指導者もわかっていなかったことが大きな誤りを生んだと思う。改めて、臨済義玄の「殺仏殺祖」の‘仏を殺し、祖師たちを殺して初めて解脱(悟り)を得る’という公案の持つ意味を味わうばかりである。
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