2025-12

如是ということ

86.「念仏には無義をもって義とす」に思う  神谷湛然  記

/  86.「念仏には無義をもって義とす」に思う  『歎異抄』の‘十条’には、 「念仏には無義をもって義とす。不可称、不可説、不可思議のゆえに」と書かれている。 この段をどう解釈するかというのが難問とされてきたようである。浄土真宗の宗門では...
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85.「山川草木悉皆成仏」に思う  神谷湛然 記

/  85.「山川草木悉皆成仏」に思う  釈尊は菩提樹の下で坐禅していた時、暁の東の空に輝く明けの明星が目に入った途端、「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしつかいじょうぶつ)」と快哉したといわれている。私なりに訳せば、‘山や川、草や木が、...
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84.浄土と往生について  神谷湛然 記

/  84.浄土と往生について  歎異抄の解説本を読んで気になることがあった。浄土と往生についての捉え方である。 浄土とは、私たちが生きているこの世で‘弥陀のはからい’に任せて念仏すれば死んで後に行く所であり、そこには阿弥陀仏がおられるのだ...
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83.‘宇宙真実光’とは  神谷湛然 記

/  83.‘宇宙真実光’とは  私は‘宇宙真実光’ということばを時折使っている。ことばというものは月を指し示す指に過ぎないので取りあえずはそう名づけておこうというものである。それでも‘宇宙真実光’をなにか遥か遠くにあるとても素晴らしいもの...
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82.「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」  神谷湛然 記

/  82.「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」  歎異抄に「善人なおもて往生を遂(と)ぐ、いわんや悪人をや」という有名な一句がある。私なりに訳せば、‘善人でさえ悟って幸せになれる。ましてや悪人でさえ悟って幸せになれるのは当然だ’と...