/ 91.無宗教こそ真の宗教
2月28日、イスラエルとアメリカがイランを電撃的軍事侵攻してその日のうちにイランの最高指導者であるハメネイ師を空爆で殺害した。私はこのニュースを最初耳にしたとき信じられなかった。翌日、イラン当局がその死亡を発表したことで明らかとなった。だが、その代償は大きくついている。ホルムズ海峡が封鎖されて世界の石油・天然ガスの価格が急高騰して世界がエネルギーパニックになっている。日本でも高市首相が16日から石油備蓄の放出を発表したが、一部ではすでにガソリン価格がリットル当たり200円突破しているようである。まさに台湾有事とかいう前にホルムズ有事が来てしまったようである。
このイラン問題でまたイスラム教がクローズアップされた感があるが、この問題の本質は宗教ではなく、中東における覇権をめぐるアメリカ・イスラエルとイランとの政治的軍事的争いに思える。宗教の衣をかぶった争いが古代からあちこちで起こっている。日本では飛鳥時代の蘇我氏と物部氏との仏教導入を口実とした争いはよく知られている。宗教は権力闘争の道具によく使われた歴史がある。
戦後日本では、戦前の国家神道に対する反動もあって日本人の多くが無宗教になっているといわれている。今では、日本人の多くは‘自分は○○教徒です’と言う人は少ないだろう。むしろ、‘信じている宗教は特にないなあ’と答えるのが大半ではないだろうか。この現状は私は肯定的に捉えている。
日本人は無宗教といいながら、毎年のように、正月には大勢の人が神社仏閣に初詣して新年の祈願をし、8月のお盆にはお墓参りしてごった返しするなかで仏式で亡き家族を供養している。結婚式は神道式かキリスト教式で挙げ、葬式や法要は仏教式で弔っている。こんな‘ちゃらんぽらん’な宗教態度をとる国民は他にないとよくいわれる。私もそうである。
今年の初詣には橿原神宮に参り、昨年のお盆には真言宗の寺に参った。妻との結婚式は出雲大社で神式で挙げ、実母の葬式と妻の母の通夜には私が導師となって曹洞宗式で行い、その義母の葬式と法要は近くの寺で真言宗式でしていただいた。実母の四十九日法要は真言宗の室生寺奥の院で営ませていただいた。日常的には、毎日朝食前に真言宗式の仏壇と天照大神やら石清水八幡さんやら来宮大権現やら橿原神宮のお参り記念の箸などを奉ってある神棚に礼拝して朝の挨拶をしている。時には聖書にも触れることがある。こんな‘ちゃらんぽらん’でありながら、私の内面は一点におさまっている。存在の本質への追求と感謝である。言葉遣いや装い、やり方が違うだけで本質的には同根だと理解している。
日本人の多くが‘ちゃらんぽらん’なのは、すべてのものに神が宿り、神からの恵によって生かされているというアニミズムの原始宗教観念が色濃く残っているからだとある識者は指摘する。だから、古代の仏教導入も明治以降に盛んに入ってきたキリスト教や今日の日本にも目立ってきたイスラム教にも他の国々の人たちと比べるとなんと寛容なことかと思うぐらいだ。日本人にとっては仏様もイエス様もアラー様も八百万(やおよろず)の神の一つとみなしているからではないかと思う。つまり、どんな宗教も神も、公序良俗に反しない限り、共存共栄していけているということだ。まさにここに世界の宗教にからんだ問題解決のヒントがあるように思うのだ。
一神教は進んだ宗教で、多神教は遅れた未開の宗教だと昔はよくいわれたものである。私からすれば、多神教こそすぐれた宗教だと考えている。言葉遣いや装い、やり方とかいう表面的な違いに捉われることなく、本質を見る目を持ってほしいものだと思っている。

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