/ 33.応以仏身得度者ということ
観音経の中ほどのあたりに、
「応以仏身得度者 観世音菩薩 即現仏身 而為説法」
という言句がある。書き下せば、
‘応(まさ)に仏の身を以って得度すべき者には、観世音菩薩は即に仏の身を現じて而(しか)して説
法を為す’
となるだろう。これを前稿の「32.念彼観音力ということ」を踏まえて私なりに現代語に訳すと、
‘まさに仏の身としてすでに救われていることを悟るべき者には、自在なる宇宙真実のありようは即時に仏の姿となって現れて自在なる宇宙真実のありようを説法する’
となるだろうか。
それ以降には「応以○○身得度者 即現○○身 而為説法」のフレーズが繰り返されている。そして、これらは皆、「観世音菩薩、すなわち、自在なる宇宙真実のありようの具体的な現れだということだ。
以上のことをわかりやすく言えば、自在なる宇宙真実の視点からは、あなたはあなたで満点、わたしはわたしで満点ということだ。風流に言えば、‘バラはバラでよし、スミレはスミレでよし’ということであり、‘晴れてよし、くもりてよし、富士のやま’ということである。
そしてさらに言うならば、そういう‘あなた’や‘わたし’、バラやスミレ、‘富士のやま’も、刻々と転変して自由自在なる働きとありようを現じているということだ。
生物非生物問わず皆、原子以下の大きさであった特異点から一気に爆発膨張してできたとされる宇宙138億年の歴史を背負って存在している。私たちは元来、宇宙の子であることの意味を、キナくさいにおいの充満しつつある今日だからこそ、考える必要がますます強くなってきているように思う。

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