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11.‘血の思想’について
オウム真理教の麻原彰晃は、最終解脱をするためには教祖たる自分の肉を体内に入れなければならないと説いていたらしい。ぐたいてきには、女性においてはイニシエーションとして教祖と性交して教祖の精液を体内に入れることであり、男性においては教祖の娘婿となるということであったらしい。この考えは実は麻原特有のものではなく古今東西一般的にあるということである。日本においては万世一系の天皇は‘神武’からその血を引き継ぐ者のみがなりえるのであり、領土真宗の後継者は開祖たる親鸞の血を引き継ぐ者のみである。世襲議員なる政治家の存在も同様であろう。本人の能力に関係なく生まれによって決まるという発想は案外と人類に根深い信仰となっているようである。世界の王様はほとんどが世襲制である。時の王を打倒して新しい支配者となったものはその後継ぎに自分の血を引く者に充てる。日本の‘イエ’という観念も同様である。‘カエルの子はカエル’という封建主義的な身分制度的発想が現在でも無意識に抱いている人が多いようである。
私は師匠から出家僧として嗣法する時、「血脈」なるものを作ったことがあった。縦長の和紙に釈迦牟尼仏から師匠・私本人に至るまでの嗣法してきた何十人ものの名前を墨で書き連ねてその上に釈迦牟尼仏から私本人までを順番に朱筆で一本線で引っ張っていくというものであった。この朱が釈迦牟尼からの‘血’を表すものであり釈迦から法が綿々と伝わっていった法脈であるという。なにか生臭い‘血’のにおいがして奇妙な感覚がしたことを覚えている。
イエス・キリストの‘最後の晩餐’には、弟子たちと共に、イエスの血としての赤葡萄酒を飲み、イエスの肉としてのパンを食したという。
統一教会の文鮮明は信者たちに自分の血として赤葡萄酒で乾杯した。本来はメシアなる教祖文鮮明と性行為して合一になることが望ましいが規模が大きくなったので葡萄酒で代替していたという。マスコミで騒がれた合同結婚式をテレビや雑誌で見たことがあったが、壇上に立った文鮮明が何千人もの‘新郎新婦’と杯を交わしている様は壮観な思いがしたものであった。
日本では古来葡萄酒なるものがなく、どぶろくという白い濁り酒がその役割を果たしてきたといえよう。他者との一体を表すものとして酒を酌み交わすという文化が古来からある。私は妻と出雲大社で結婚式を挙げ、神前での三々九度の日本酒をいただいた。神の使いとされる巫女からお神酒いただいたのであるが、このお神酒も神の血としての位置づけがあろう。神と契りをかわし妻とも契りをかわし、そしてその後新郎新婦相方の親族とも契りをかわす。ただこの三々九度は私には堪えたものであった。大・中・小の異なる三つの杯で巫女さんいつがれながら妻と酌み交わしたのであるが、思った以上の酒の量にお神酒をつぐ目前の巫女さんい思わず小声で「エッ、まだなの?」と言ったものであった。この後の神前結婚式に参列した私の兄夫婦と妻の両親・妹夫婦一家とも一つの杯で順番に巫女につがれたお神酒をいただいたのであるが、最年少の五歳だった妻の姪の身じろぎしない堂々たる飲みっぷりには感服してしまった。
生まれや性別・境遇に関係なく優れたものがリーサーになるべきであるとたいていの人は考えているだろう。それを制度として世界ではじめて確立したのがアメリカ大統領であろう。身分やしがらみから離れて自由の大地アメリカに移住し、大英帝国たるイギリスに自由の旗を立てて戦争を起こして独立を勝ち取ったという歴史的いきさつのゆえに実現できたのであろう。大統領は定期的に行われる選挙によって選ばれる王なし君主だといえる。日本でも、高小卒の学歴しかないたたき上げの政治家が首相になったことがあったのは特筆すべき出来事であった。日本で戦国時代や江戸末期から明治にかけての歴史がよきう好まれるのはしがらみや身分を超えてすぐれた人々が輩出したからであろう。特に豊臣秀吉のような一介の農民から最強の権力者にのし上がっていく様は今日でも秀吉の人気の高さを生んでいる一つの要素となっている。田中角栄が当時‘今太閤’と呼ばれたのは秀吉とよく似た境遇のためであろう。
宗教のなかで人間の神格化を否定したのはイスラム教といえる。聖職者は在家であり、神あらーの伝達者・預言者にすぎない。イエスもマホメットも一人の預言者として位置づけている。そして、神アラーも含めて一切の偶像崇拝を完全に否定している。何もないガランとした空間において西の方に向かって祈るのみである。ここまで徹底した宗教はないであろう。日本では神道・仏教・キリスト教・新興宗教問わず、なんらかの偶像ないし神格化を作っている。‘オウム’は麻原彰晃を絶対神格化し、‘幸福’は大川隆法を絶対神格化した。人間を絶対神格化したところに宗教の幼さがあるとわたしは考える。なぜなら人間は神ではないからである。
しかし、‘血の思想’を完璧に超越し、しかもプロテスタントすらも成し遂げえなかった偶像崇拝否定までしえたイスラムがなぜこうも男尊女卑であり女性は男性の附属物扱いという現実があるのだろうか。アラブ世界の古来からの風習が巣食ってマホメットのイスラムとは似ても似つかぬイスラムになってしまったことではないだろうか。アラブの世界では一夫多妻制が今も認めているところが多い。。女性は家族以外には目のほかは見せてはならないとなっている。「千一夜物語」にはそのことがよく描写されている。イスラムでも聖典として扱う旧約聖書には、神は土の塵(アダマ)からアダムという男を作り出し、一人ぼっちで寂しいアダムの願いに応えてアダムの肋骨から女たるイブを作り出したとある。このことが男の附属物としての女という観念を作り出したともいえよう。キリスト教でも男尊女卑は色濃くあるが、イエスの生母・聖母マリアに対する強い信仰がその男尊女卑をいくらか薄めているといえる。しかもマリアには髪も顔も完全露出である。そして旧約聖書には女性は目以外は全身隠さねばならないとは記述していない。
では、イスラムの聖典、コーランにはどう書いてあるのだろうか。
貞節なる女性は「慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分は仕方がないが、その他の美しい所は人見せぬよう。胸には蔽いを被せるよう。」(第24章31節)とし、夫や両親、親族、婚姻者の男性を覗いた親族、性的欲望のない人、幼児以外には見せぬようとあるという。美しいところとはどこなのか、人によっても地域や国によってはなはだ違うという。頭の髪だったり、頭と首だったりほぼ全身だったりである。また、コーランの別の記述では預言者のことばとして女性は外出する時は全身を長衣ですっぽり覆うべきである、そうすれば誰だかわかり害されることはない、とあるという。
ネットでいろいろ調べたところでは、女性が「美しいもの」を隠すよういうのは、性的誘惑に弱い男性から危害を与えられないようするためだという。そして男性は女性を外面ではなく内面を見ることを求めていることでもあるという。またコーランでは、女性は男性より劣位であり、女性は保護されなければならない、と説いているという。これが男性社会でつごうよく解釈されて女性は男性より低い身分におかれて女性差別となっていると指摘している人がいる。
イスラム研究家である後藤絵美によると男と女の関係についてコーランではこう記述されているという。
人びとよ、あなたがたの主を畏れなさい。かれはひとつの魂からあなたがたを創り、またその魂から配偶者を創り、両人から、無数の男と女を増やし広められた方であられる。…(4章1節)
同じく創造に関する49章13節では、人々の中で最も尊いのは敬虔な者であると示されている。
人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も尊い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。…(49章13節)
ここから、後藤絵美はコーランはキリスト教や旧約聖書と違って、女性が不利にならないよう男女同等の視点から創世記を展開しているという。
また、一夫多妻制についてコーランでは次のように記されているという。
もし汝ら(自分だけでは)孤児を公正にしてやれそうもないと思ったら、誰か気に入った女をめとるが良い、二人なり、三人なり、四人なり。ただもし(妻が多くては)公平にできないようならば一人だけにしておくか、さもなくばお前たちの右手が所有しているもの(女奴隷を指す)だけで我慢しておけ。その方が不公平になる心配が少なくてすむ。(四章三節)
チュニジアやトルコではこの章を、実質的に一夫一妻制を意味しているとして法律で一夫多妻制を禁じているという。一夫多妻制を認めているイスラムの国でも、夫が複数の妻に対して公平に扱えないならば複数の妻を持つことはできないという。
マホメットが出現した7世紀のメッカは法も秩序なく戦乱で荒れ、人べらしとして女性が殺されていたという。マホメットはこんな女性を救うために男女平等を掲げてイスラム教をおこしたとイスラム研究者はいう。今でもアラブ世界で根強い部族社会はマホメットの時代はもっと強固で部族間の戦争が絶えず、無秩序であった。マホメットは混乱のなかで人々に神の預言者として謙虚の大切さを説いて世の平和と安寧を実現しようとした。コーランはマホメットの死後、マホメットの言葉や他の預言者たちの言葉、そしてアラブゃ回の伝統や慣習などを蹴大成したものという。時代の社会の制約のなかで、ユダヤ教・キリスト教を超えて神の世界の実現を目指したのがイスラム教だと研究家はいう。
やはり私が思ったとおり、本来のイスラム教は合理的理知的であり、そのゆえに創始者の血を引き継ぐ者のみが後継者となれるという‘血の思想’から解放され、完全なる偶像崇拝を成しえたといえるのではなかろうか。
そして、もう一つ面白い特徴がある。日本の神道と同じく、出家者とか修行者というのが存在しないことだ。預言者は神なるアラーの言葉を伝える仲介者であって、一介の民として皆衆とともにアラーに祈りを捧げる。イスラムを信仰するものすべてが同じ修行者だということである。‘きまり’やイスラムの義務も預言者ふくめて全員同等であり、そのゆえに私も含めてイスラムの部外者から見ればハードで厳格な印象をもってしまうのであろう。私の信仰している仏教においては、修行するのは大抵僧侶だけであり、在家者は出家者を経済的社会的に支える支援者=檀家という位置づけである。神道はイスラムと同じく出家者とか修行者というもjのはないが、‘カミ’に責任もって祈りを捧げ供養するのは宮司や巫女などの神職者である。それ以外の人は仏教の檀家と同様の位置づけである。イスラムの行はまさに徹底していると言わざるをえないだろう。にもかかわらず、現在のイスラム世界で現出している男尊女卑の観念や排外主義、抑圧的な専制体制の多いことは、イスラム社会に根深く存在する部族社会の封建主義的男性優位主義的価値観によってマホメットの教えがゆがめられ泥塗られたものだと言っても過言ではないだろうか。
なお、イスラムではブタを食べることはなぜだめなのか、はっきりさせたくて調べたことがあった。ネットで検索してある旅行会社がわかりやすく説明してあったので以下に記す。
動物の肉がハラル(許される)になるには、イスラム教の規則にのっとって屠畜されたものに限るという条件があります。その規則は細かく決まっていて、屠畜する人物がイスラム教徒以外であっても、屠畜する際には「ビスミッラー、アッラーフ、アクバル(アッラーの御名において。アッラーは偉大なり)」と唱えながら、鋭いナイフで首の頸動脈を切ることで動物を処理しなれればなりません。
その他にも“ハラム”は多くあります。飲酒、賭博、高利貸し、利子、婚前交渉、同性愛、男性が女性の恰好をする事やその逆、男性が金やシルクを身に着けること等もハラムにあたります。人の物を盗んだり、嘘をついたりすることもハラムです。
豚肉・豚由来の食品を食べるのは禁止!
ハラム(禁じられた)に含まれる食べ物には、豚肉から作られたあらゆる食品、血が残っている食肉、正しく殺されなかった動物の肉と脂、肉食獣と偶像に捧げられた動物からとられた肉があります。
これは、コーランの2章「雌牛」の173節の、食べることを禁じられるものに、「死肉、血、豚の肉、アッラー以外の名が唱えられたもの(異神に捧げられたもの)」との記述があるからです。豚から取られたものとしては、豚肉、ハム、ベーコンはもちろん、豚の脂肪を含む他の多くの食品、ビスケット、アイスクリーム、スープなども含まれます。
た、コーランの6章「家畜」145節では豚について「忌まわしいこと」との記述もされており、多くのムスリムが豚は「不浄の動物」と言い聞かされて育っているため、豚に対して嫌悪感を持っている人がほとんどです。
ちなみに、イスラム教だけでなくユダヤ教でも、豚は「不浄のもの」とされていて、食べることを禁じています。なお、本当に緊急の場合に他の食べ物がなければ、ムスリムは餓死するよりは、禁止されている食べ物でも食べてよいとされています。
以上である。 キリスト世界でも’ブタ’を表す単語(英語ではpig)は侮蔑の意味で用いられていることが多いが、その由来はキリスト教の母体であるユダヤ教にあることに気がついて納得したものであった。それでもキリスト教信者は豚肉を食してよいとされるが、そのこともイスラムからすれば絶対なる神の教えに背いているということになるであろう。最初に神野啓示を受けたユダヤ教が神野教えを守らず、それを批判して生まれたキリ スト教も神を守らず、神野啓示を守るものとしてイスラム教が生まれたという経緯は逆にいえばこの三つの宗教は同根であることを示しているといえる。
インド人の大多数を占めるヒンズー教では牛は神聖らるゆえに牛肉は食さないが、豚肉は食してよいとされる。卑しいから食べないとか、神聖だから食べないとか、出家者だから肉食しないとか・・・。私が安泰寺で安居していた時、参禅に来ていたタイの若い出家者はさばいたり料理しているのを見ていないならその肉は食べてもかまわないといっていた。世界ではいろいろな理由を勝手につけている様が伺われて面白い。最近はイスラムの人は豚肉はなかなか食べないが、ヒンズー教徒ではビーフを食べる人が増えているといわれる。
イスラムがイスラム以外の世界にいるときはトリ肉でもイスラムの神の言葉を唱えながらと殺することはまずないであろうから、厳密にいえば彼らイスラムはまったく肉食やそれに関連する食べ物を食することはできないのではないかと思ったのである。また、野菜や果物は唱える必要はないというのも勝手な宗教論理ではないだろうか。時代や社会慣習などの制約のなかでコーランも作られたであろうから、私から見ればコーランの真意は‘なにごとにも謙虚あれ。ほかの生命を奪うしか生きられないわが身を深く思い、すべてが神からの賜りものであることに感謝して食し、行ない、生活しなさい’と説いているのではなかろうか。文字にとらわれて一言一句を守ろうとするのは「木を見て森を見ず」ではないだろうか。原理主義者や教条主義者の陥る穴は真意をみようとしないように思われる。
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