12.葬式仏教について  (神谷湛然 記)

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  12.葬式仏教について

 葬式仏教という単語は仏教に対してネガティブなイメージを感じる人は多いようである。仏教出家者が自信をもって葬式仏教を完全にに肯定している話は私は聞いたことがない。にもかかわらず、仏教出家者のほとんどが実際にやっていることは、死者に対する葬式・彼岸や盆供養・年回忌法要である。あとは重要無形文化財的な儀式を執り行うということであろうか。これには歴史的経緯があることはよく知られている。
 仏教が日本に伝わったとされる538年から平安時代中ごろまでは仏教は天皇・皇族・貴族のものであったといえよう。‘ホトケ’強力なパワーをもつ異国の‘カミ’を見て、鎮護国家という国の守り神としての位置づけとなった。その象徴が奈良の大仏であろう。僧侶は新しい外国文化を学学僧として経典の研究に勤しんだ。南都六宗である。今でいう大学仏教学部といったところか。
 平安初頭に空海と最澄がそれぞれ真言宗と天台宗を中国からもたらしたが、特に真言密教は天皇皇族貴族から‘もののけ’を内払う絶大な力があると認められて加持祈祷としての仏教が形作られていった。私は高野山へ参拝したとき、護摩を焚いて手でいろいろな印をむすんでいるのを見て、神秘的ないやオカルトの世界に入ったような錯覚を覚えたものであった。
 最澄の天台宗は比叡山延暦寺で経典や止観という瞑想、密教を学仏教総合大学を作ったといえよう。
 民衆レベルでは、奈良時代の行基や空海の行なったため池や道作りといった治水土木事業や諸国行脚に‘福の神’を見たであろう。しかし、平安末期の相次ぐ戦乱や自信・火災、没落していく貴族政治の混乱に末法思想ときう終末観がはやり、貴族も民衆も仏教に安寧と救いを求めて信仰していった。その中核をなしたのが阿弥陀ないし浄土信仰であった。平安末期に活躍した空也を模したとされる空也上人像は空也の口から十もの阿弥陀仏が飛び出す姿で表現され、いかに空也がいつでもどこでもだれに対しても絶えず南無阿弥陀仏と念仏を説いていたかが、その像を見るものに鬼気迫って伝わってくるものである。また当時地獄絵がよく描かれ、人々はそれを見てますます浄土信仰を高めていったものであった。そして鎌倉新仏教の誕生へとつながっていった。面白いことに浄土信仰や鎌倉新仏教の母体が天台宗の延暦寺であったということである。仏教総合大学という正確の賜物といえよう。室町後半から戦国時代にかけては一向一揆や法華一揆のように貧しい民衆の政治運動の遊郭思想として仏教は役割を果たした。この時点までは仏教は今生きているもののための仏教として存在していたということである。これが、江戸時代の徳川幕府によって檀家制度によってまったく変容だれてしまったのである。
 徳川幕府は幕藩体制維持のために士農工商と最下層にエタ非人という身分制度を作り、地域の住民の管理監視役を寺にさせた。寺は幕府の戸籍係となって住民の出生や死亡を管理する過去帳を作成し、しかも身分に応じて差別戒名をつけていた(これについては水上勉の「良寛」に詳しい)。寺は幕藩体制の一角を担うことで経済的地位的安定を得、幕府としては寺を体制に組み込むことで宗教で大きな力をもった仏教を管理下に置くことに成功したのであった。宗教活動が布教から葬式法要の儀式行為になっていったのは必然であったといえよう。檀家たる住民は信仰によってその寺の檀家になっているのではなくて行政組織としての寺の管轄する地域に住んでいるからその寺の檀家にさせられたというのが現実である。信仰には関係なく、葬式や先祖供養にお世話になるというだけになるのは必然だといえるだろう。こうした徳川時代の産物である檀家制度が現在も温存されている。そしてこの檀家制度が地方から東京を中心とした大都市圏への過度の人口集中、地方の過疎化と限界集落の出現は檀家制度の崩壊に進んでいるといえる。
 村落では経済的に立ち行かなくなって空き寺となっているところが増えている。都会では檀信徒・宗派・信仰を問わず受け入れるという寺が多くなった。私の妻が彼女の無父の供養でお世話になっている吹田の真言宗の寺もそうである。しかもその寺は敷地内に近代的な骨壺管理ビルを建てて、お参りしたい人はカードを所定の仏壇の前のパネルにタッチすると数十秒後にお目当ての遺骨が仏壇に到着して開帳とあいなるのである。あまりにも便利すぎて味気ない感じがするのは私が年老いたせいであろうか。
 自前の檀家だけでは寺の経営が苦しいとことでは葬儀会社と契約して葬儀屋から仕事をもらって斎条に出向いて葬儀や法要を執り行って‘お布施’を頂戴する僧侶が多いようである。またはお盆などのときに都会の大きな寺の檀家参り(これを棚経‘たなぎょう’という)の手伝いしれも金を稼ぐこともよくある。私も30年あまり前の若いころ京都の檀家が数千軒もある大きな寺の棚経をしたことがあって十日間のお盆の手伝い委で40万円をいただいたものであった。
 葬儀法要をするのが僧侶の仕事だと思っている出家者は経済力のある寺の‘従業員’となるか、葬儀会社の‘契約社員’となるのが関の山であろう。
 既成仏教出家者が信仰でもって生きようとするならば、檀家制度というしがらみを自ら壊して、かっての鎌倉新仏教の創始者のごとく、いや戦後の勃興した新興宗教のごとく、自由意志に基づいた信仰活動をすべきであろう。葬儀法要はするなとは私はいわない。それも一つの佛縁となりうるからである。問題は葬儀法要はあくまで従であって主ではないということである。領土真宗の開祖である親鸞は妻である恵信尼から病死した子のためにお経を唱えてほしいと願ったが、親鸞はきっぱりと拒絶して焚火で赤々と燃えていく死骸として逸話があるという。念仏は死んだ者のためにあるのではなくて現に今生きている者のためにあるのだといいたかったのだと私は思う。
 インドでは8割を占めるヒンズー教は亡くなった人は火葬して遺灰をガンジス川に流す。生前になんらかの不徳があった人は重石をつけられて水葬されて肉は鳥や魚に食われるままだという。チベットやモンゴル・インドの一部では高台に鳥葬師によって肉は小さく切り刻みされたり骨が細かく砕かれたりされた遺体が置かれてハゲワシに食べていただいて昇天するという鳥葬文化がある。仏教国といわれるミャンマーでも墓なるものはない。火葬には簡単な式をするのみで喪主もなく親しい人やお別れの挨拶に来た人が来るだけでひっそりとしたものであるという。そして残った遺灰を持ち帰ることはなく火葬業者に処理を任す。従がって日本のようなお墓参りという文化はなく、ただ年に1回亡くなった人を偲んで寄付したり思い出を語り合ったりするという。
 イスラム教やキリスト教では土葬となっている。亡くなったあと、審判の日によみがえるという信仰のためだという。そのために広い墓地が必要となり、用地不足になっている地域が出ているという。
 宗教や国によって火葬が高貴なものとされたり、逆に土葬こそ高貴なものであり火葬とか卑しい恥ずべき行ないとみなしたりしていろいろな理由づけされて正当化されていることがうかがわれて面白いものである。
 宗教が葬儀に関与するのは世界的によくみられる。なぜ生まれなぜ死んでいくのか、人生の根本問題である。これを解決しようとして生まれたのが宗教だといえよう。人はとくに‘死’に対して大きな怖れや不安を覚える。それに対してイスラム教やキリスト教は審判を受けることによって天国に生まれることができると説いている。仏教では功徳によって極楽浄土に行くことができると説いているところがある。悪徳を働いたものは地獄に落ちるという観念も宗教一般に認められる。ただ浄土真宗では地獄にしか落ちる他はない悪業深きわが身が救われる道はすべてを救い申し上げるという弥陀の本願にすべてを任せきるという絶対他力の教えがある。天国に生まれたいとか極楽に行きたいとかの思いを捨てて‘南無阿弥陀仏’と唱える、いわゆる「白木の念仏」である。これは曹洞宗の道元の‘仏のいえになげいれて’の只管打坐に共通している。またプロテスタントでは天国や地獄の観念はなくすべては神のなすがままにという考え方があり、これも親鸞や道元とよく似た死生観といえよう。ただ現今では宗教宗派問わず(もちろん親鸞や道元の興した宗派も含めて)実質的に葬式の儀式を受ければすべてが天国ないし浄土に行くことができるという観念になってしまっているといっても差支えないように思える。靖国神社では、葬儀を受けなくとも軍人として戦死した人は靖国に入ればすべて神として祀られている。
 来世での幸福が約束されていると聞かされることで人々は死への不安がやわらいで安らかに一生を終えるということであろう。
 ‘おだやかな死’は残された遺族にとって安心感を得るのは確かである。しかし、不慮の自己や災害、戦争、つらい病や人間関係・社会関係などで不遇な人生となってしまったこと(もちろん自殺者も含めて)などで亡くなった人は残された者にもつらい思いを心の奥に刻まれやすい。なにが起こるのかわからない、それが人生だとよく聞かされる。私の得度の師匠は運転していたブルドーザごと河に転落して死んだ。盲学校時代の同級生だったマッサージ師は仕事の帰路にオートバイに引かれて亡くなった。筑波技術短大に同級生だったシステムエンジニアは社内関係に悩んで自ら命を断った。仏教に二河白道(にがびゃくどう)という言葉がある。右側の崖下には逆巻き荒れ狂う水の河が流れ、左側の崖下には燃え盛る火の川が流れている。その両側に挟まれた真ん中に細くて白い道を旅糸がとぼとぼと歩いて渡って行く。ちょっとでも油断して足元を誤ればた落下ちて命を落とす。人生とは綱渡りだというのと同様の喩えである。白い道は信仰を喩えたものである。浄土信仰の世界でよく聞く話ではあるが、人生をよく言い表しているといえよう。私は白い道を広く解釈して「制御された精神」としたいと思う。感情をコントロールし、広い視野に立ってものごとの本質に従がって十自在に生きるありようである。宗教信仰者といわれている人のなかにはよく‘神の正義’とか‘破邪顕正’とかを掲げて戦争を仕掛けたり攻撃弾圧することが古来から見受けられる。「宗趣を立するによって宗趣わかる、すなわち是れ規クなり。宗通じ趣極まるも真常流注、外寂に内動くはつなげる駒復せる鼠」(宝鏡三昧)である。‘月をさす指’に過ぎない字句に囚われて本質を見失うことが今でも多く見られる。言葉という服装の違いで宗教戦争をやっている人がいる。なにをもって‘異教’といい、なにをもって‘外道’というのか。イエスが批判したのは細かい規律を作って律しようとする、おあまりにも字句に囚われた市井に対してであり、釈迦は特殊な心相体験を求めることに対して批判したのだった。イエスの見た「真の世界」は書かのそれと寸分違わず同じであったと私は断言する。なぜなら自己と世界が一枚になったいわゆる‘主客同一’だからである。イエスが祈っているのか世界が祈っているのか祈りが祈りのままに祈りとして完結している。釈迦の瞑想も然りである。世界っと自分が深層で通じたとき、字句を超えたものごとの本質が見えてくる。慣習や観念、価値観、きまり、風俗なるものが作り物であることに気づかされる。男女も性機能による役割の違いがあるだけで人間として同等であり男女そろって人間たりえることも自然に理解する。イスラムのマホメットも虐げられた女性を救おうとしてイスラムを興した。現在のイスラムの男尊女卑は部族社会の観念によってゆがめられた、マホメットのイスラムとは似て非なる代物である。
 言葉の‘服装’や協議、儀式のやり方や作法の違いはあって当然である。だが、本質は言葉や思慮分別では把握できない。なぜなら本質は生きている現実そのものだからである。一息吸って自分があり、一息はいて自分がある。これを普段私たちは無意識に無自覚におこなっている。そこにもうすでに意識を超えて自覚を超えて命が存在している。思いを捨て、観念を捨て、徹底して自己を忘じていく。その先には大きな開けた世界があらわれる。宗教が宗たる教えとなるのは人生という根本問題の解決を提供するからである。哲学は論理の展開によって真相を明らかにしようとする学問であるが、真相に近づけば近づくほど論理は矛盾だらけになる。ニーチェの「善悪の彼岸」や西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」はそのよい例といえる。徹底した哲学は宗教となる。論理ではなく感覚で本質に到達できるのが宗教の強味である。老若男女・身分や貴賤・頭のよしあし問わず、すべての人に門戸が開いている。釈尊の弟子のなかでどうしようもない愚鈍とされた周利槃特という人がいる。勉強もできず、話も理解できず、必死に覚えてもすぐに忘れてしまう。自分の名前がよばれgても自分のことだとはわからず、仲間かから教えられてわかるという始末であったという。ある日、自分のあまりの愚かさに絶望して教団を去ろうとするとき、釈尊から自分の愚かさを知るものは真実義を理解できると諭されて教団に踏みとどまり、釈尊からほうきを渡されて教団をすみずみまでそうじするよういわれた。何回きれいにそうじしても釈尊からまだだめだと否定される。あるとき、せっかくきれいにしたところを子供が汚すのを見て思わず怒鳴ったがその直後汚れがとれにくいのは人の心も同じだとさとり、その後阿羅漢を得たという。
 真のやすらいとはなになのか。葬式をテーマにして考えてきたのであるが、おのおのが人生について考えるきっかけになれば幸いである。

1957年奈良県生まれ。1981年3月名古屋大学文学部卒。書店勤務ののち、1988年兵庫県浜坂町久斗山の曹洞宗安泰寺にて得度。視覚に障害を患い1996年から和歌山盲学校と筑波技術短期大学にて5年間、鍼灸マッサージを学ぶ。横浜市の鍼灸治療院、訪問マッサージ専門店勤務を経て、2021年より大阪市在住。
 仏教に限らず、宗教全般・人間存在・社会・文化・政治経済など幅広い分野にわたって配信しようと思っています。
このブログによって読者のみなさまの人生になんらかのお役に立てれば幸いです。
         神谷湛然 合掌。

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