87.年始にあたってーー ‘願い’ということ  神谷湛然 記

/  87.年始にあたって-- ‘願い’ということ
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 2026年を迎え、明けましておめでとうございます。
 今年は馬年です。さて、どんな類の馬の年になるでしょうか。
 ともあれ、前を向いて歩いでいくばかり、‘どっちへどうころんでもわが人生’と
 構えています。
 それでは、みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。
     2026年  元旦
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 新年を迎えて毎年のように初詣に行かれる方は多いでしょう。なかには既に済ませた方もおられることでしょう。私も混雑を避けて年末か三が日明けに毎年詣でています。
 初詣には賽銭箱か、もしくは本殿の前に設けられた柵の向こう側にある白い布の敷かれた広い特設場にお金を投げ入れて願い事をお祈りなさっておられることでしょう。しかしまあ、その特設場にはコインに混じって一万円札も見えて、すごい太っ腹な方もおられるのやなあと思ったりしましたが。
 願い事には、商売繁盛・五穀豊穣・○○合格・家庭円満繁栄・恋愛成就・縁結び・健康祈願ないし病気快癒・○○勝利祈願・交通安全など、いろいろありますね。有名な神社やお寺では、何十万人どころか百万人を越える方々からの願い事を聞くのに神さま仏さまは大忙しいことでしょう。
 けれども、こんな方もおられることでしょう。
 ‘昨年の初詣でお願いしたのに踏んだり蹴ったりのさんざんな年になってしまった。神も仏もないわ! もう初詣には行かない!!’と。
 私の場合、今は神仏には願い事は一切しません。なにも思わず、頭を垂れてお祈りしています。清新な心に立ち返って日々新(あらた)に生きていこうというわけです。あえてお願いするならば、神仏を前にして自分に対する誓いとして行います。神さま仏さまがしてくださるわけではないと思っています。願いを実現するのは自分次第ではないでしょうか。‘現世利益’ということばがありますが、神さま仏さまが私たちにはなんの利益ももたらさないと思っています。‘利益’は実践する本人の行いからしか生まれないと思っています。その実践を決意するために誓いを神仏を前にして立てるのだとするならば、神さま仏さまはそれこそ本意だと大いに喜びなさることでしょう。
 みなさんの多くが思っている神さま仏さまは、描かれた絵や祀られている神像や仏像などを思い浮かべるかと思います。そういう神仏は人間の想像物でしかありません。本当の神仏とは、私たちを存在せしめ、命の息吹を与えてくださる大いなるありようのことだと私は思います。それを大自然とも宇宙ともいえるでしょう。私はそれを‘宇宙真実光’としました。
 大自然とか宇宙とか‘宇宙真実光’などという大いなるありようとして神仏を見るならば、大いなる恵みに感謝し、大いなるありようを前にして誓いを立てて努力して参りますとするのが本当の‘お願い’ではないかと思います。
 私は、みなさまのご多幸を願って、今年もブログを積極的に発信していきたいと思っています。みなさまに少しでもお役に立てれば幸いです。

1957年奈良県生まれ。1981年3月名古屋大学文学部卒。書店勤務ののち、1988年兵庫県浜坂町久斗山の曹洞宗安泰寺にて得度。視覚に障害を患い1996年から和歌山盲学校と筑波技術短期大学にて5年間、鍼灸マッサージを学ぶ。横浜市の鍼灸治療院、訪問マッサージ専門店勤務を経て、2021年より大阪市在住。
 仏教に限らず、宗教全般・人間存在・社会・文化・政治経済など幅広い分野にわたって配信しようと思っています。
このブログによって読者のみなさまの人生になんらかのお役に立てれば幸いです。
         神谷湛然 合掌。

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