4.仏ということ  (神谷湛然 記)

/

 4.仏ということ

  ‘仏’という言葉を耳にした時、人はよく思い浮かべるのは、‘お釈迦様’であろうか。あとはお寺にあるようなさまざまの仏像であろうか。死体を‘ホトケ’と日本ではよく使われている。なにか特別な存在、神ごときありがたきヒト・モノ、生きている我我とは異なるアチラの世界のヒトみたいなものであろうか。お経を眺めたところでは、我我とは程遠い‘ムコウ’の存在み思えてしまいそうである。古代日本の飛鳥時代において、蘇我氏と物部氏との間で神仏をめぐる争いがあったが、実態は権力闘争であって、なにも蘇我氏が‘カミ’を排斥して‘ホトケを導入したのではなくて新しい‘カミ’としてそれまでの‘カミ’とともに祀ろうとしたのであった。その証拠に日本宗教は神仏集合の世界に満ち溢れたものとなったのであった。日本人には、天照大神とか八幡神みたいな‘尊き有.りがたき守り神’のようなイメージであろうか。それに対して古代中国禅宗は逆説的な文言を残している。
 仏とは何、と問われたことに対して、大梅法常は「悉有無仏性」と応え、南陽慧忠国師は「牆壁瓦礫」と喝した。趙州従念は「粥を食べたか」と問い返した。‘法拳棒喝’のように法子やを払ったり握り拳で殴ったり棒で叩いたり喝と大声で怒鳴ったりして応えた祖師方もいた。指を1本立て通した人もいた。要は、日常茶飯事ものごと・ことがら・おこないであり、そうでありながらアタマでは推し量れない無量無辺深淵なるナマのありように出会え、ということである。窓際に置いてあるサボテンがただサボテンとして慄然として存在して生命を謳歌している。
 「仏」を今生きている我々人間の次元まで引き下げた日本人は、道元と一遍が最初であろう。なぜなら、道元は坐禅はただ坐禅であり、一遍はただ南無阿弥陀仏だけであり、目的も粉飾もなく、そのものがそのものとしてだけであると徹底かつシンプルに説いている。
 先日(2023年2月)にセ逝去した漫画家の松本零二は「生きるために生まれてきた」という言葉は名言だと思う。飛ぶ鳥、鳴虫、泳ぐ魚、咲く草花、聳え立木々・・・。流れる河山並み、さまざまな表情の大地。強い風弱い風。食いつ食われつつ一つの共同体としてあるさまざまな生命の営み。宇宙的視野に立てば、太陽系あっての地球であり、銀があっての太陽系であり、大銀河あっての銀がであり、大宇宙あっての大銀河である。果
てしない宇宙にあってはカビにも値しない地球。そこに今いる我々はそこにいること許されて’いることをしみじみと思わずにいられないのではないか。感謝というのはそういう‘ありがたき’恵みに頭を下げて敬虔になりなさいということではないだろうか。
  自殺したいという人がいる。有名無名古今東西を問わず自殺者がいる。私自身も自殺したいと思ったことはある。そういう人はもっと限りなくいるであろう。生物学的にいえば、「自殺」は人類の特権であるといわれている。他の生物に比べて大脳、特に格段に発達した前頭葉を持った人類は常に新しいことを求めたガリ、絶え間ない欲求に突き動かされてある存在だという。であるからこそ、20万年前に東アフリカの片隅で生まれたホモ・サピエンスは陸を行き海を渡って地球の隅々まで生活を広げっていった。富の蓄積と共に階級が生じ、争いが生まれてきた。アタマの暴走は核兵器というとんでもないオモチャを弄んでニタリニタリしている。自殺にしろ戦争にしろきょうつうてんはアタマの暴れまくりでしかない。他人と比較してどうのこうのというのお勝手な尺度でしかない。すみれはバラを見て自らを恥ずかしく思って咲いているのだろうか?
 88歳(22年現在)の若宮正子さんは「あしたのために心にたくさんの木を育てましょう」などの著書で、「他人と比較しないこと」を強調しておられる。何をもってエライというのか、何をもってツヨイというのか、何をもって裕福というのか、何をもってシアワセというのか・・・。仏法では、きまったものはなにもないと喝破している。カレーでも無数のメニューがあり、、スパイスも入れる具も千差万別である。これがカレーだというものはない。私も思い込みでこれはこれというものと勝手にイメージしてしまいがちなことは否めない。そういう固定観念を打ち破るためにも多様な人、多様な文化、多様な考え・価値観、多様な風土などに触れたり、交わったりして完成を豊かに柔軟にすることであろう。閉鎖的な空間にいる時、悪い意味での‘唯我独尊’になって排他的な排外主義に陥りやすい。自由な言論空間にいるようにみえて実は巧妙に特定の考えに誘導だれていることがある。ありもしない大量破壊兵器保有を理由に当時米大統領であったブッシュに世界は唆されてイラクに湾岸戦争をが仕掛けられたことは象徴的であろう。今日のウクライナ問題にしても、我我日本人は欧米、特アメリカの強力なプロパガンダに置かれていることを線視する必要であろう。ロシアが悪いのは否定しがたいであろうが、ウクライナ自身にも問題があることを日本を含めた西側のメディアはほとんど私的していないように思われて仕方がない。宇宙から見ればはるかにちぽけな地球上で生物を絶滅い至らしめかねない‘戦争ごっこ’
の愚かさを指導者と呼ばれるエライ人は何もわかっていないと断言せざるを得ない。そういう人間を選んだ我々 市民も愚かということである。話が少し横道にそれてしまったが、要は、アタマの思いで世界が作られがちだということである。そういうアタマから離れて広い視野を持つために、自分をいったん忘れて行ずることだと道元は言った。それが、坐禅であり、念仏であり、唄題であり、祈りであり、遍路という歩きであり、食事・掃除・沐浴・睡眠日常生活の一つ一つであることを偉大な賢者は説いている。「空」とか‘仏のみ知る’とかいうのは、自分の思惑からまず離れてまっさらな眼で世界を見なさいということである。
 十年ほど前、妻とシンガポールに旅行に行ったことがあった。シンガポールにはチャイナエリア・アラビアエリア・インドエリアの三つのエリアがある。まったく違った雰囲気で面白かった。チャイナエリアでは仏教寺院があるせいか曲線的な建物の輪郭、雑然と込み合って密集する飲食店街が印象的だった。アラビアエリアでは、幾何学的な文様、綺麗に掃き清められた通りの石畳、特に広い部屋に床に絨毯が敷いてあるだけでで何も置いていないガランした空間の礼拝所は清澄な感覚を覚えた。インドエリアでは砂ホコリが通りだけでなく店内や商品にもかかっていて、雑然とした街並み・少しほの位狭い路地に、大阪の下町の市場の奥まった所に似ていて、なにもかもが混然一体といった感があるように思えた。インドエリアにあったデパートに入ったとき、店内にに流れる単調な抑揚のない歌と曲調は読経のようだった。シンガポールという小さな島国で三つの文化に触れたのは良い体験であった。そしていかに日本がアメリカナイズにされているか改めて実感できたのだった。よい悪いというのではなくて、我々はいかに環境に左右される動物であるか、ということである。
 沢木耕太郎の自伝的長編旅行記「深夜特急」は、香港・マカオ・タイ・マレーシア・シンガポール・インド・パキスタン・アフガニスタン・イラン・トルコ・ギリシア・イタリア・フランス・モナコ・スペイン・ポルトガル・イギリスを巡るユーラシア大陸横断一人旅である。徹底した安宿探しとインドデリーからのバスのみの旅記録は、その土地その市井の人々の生活感溢れる描写に人々や風土のいろいろな違いに面白く読ませていただいた。また、笹倉明の「」海を超えた者たち」は作者がロンドンに滞在中にアルバイトしたインドカレー料理店の舞台を中心に描かれた旅行記であるが、日本人とは何なのか、考えさせられた。いや、それ以上に、人とは何者なのか、深く考えさせられる作品である。
 また、昭和25年にあった金閣寺放火事件を扱った作品として三島由紀夫の「金閣寺」と水上勉の「金閣炎上」があるが、まったく違った人物描写や解釈、作者の思い込みの慄然とした違いに一種の衝撃的な感銘を受けたことがあった。酒井順子は「金閣寺の燃やし方」でこの二人の作家の本を自らの現地ルポを交えながら比較論評しているが、三島と水上の生い立ち生活環境まで踏み込んだ分析は読みごたえがあった。‘上から目線’の三島と‘下から目線’の水上。‘オモテ日本’の三島と‘ウラ日本’の水上。私自身は才覚に走りたがり、観念的な知と美に溺れ、人に冷たい目線の三島を感じた。水上は、どこまでも泥臭く、実体験的で、情け深い。どちらがいい悪いというのではなく、ことなった目は異なった思いを生ずるということである。
 さまざまな地域、さまざまな人に取り巻かれている観念・通年・価値観・感覚やふるまいの多様さなどにいかに無自覚に奥深くしみ込んでりるのか、わからせてくれる。

1957年奈良県生まれ。1981年3月名古屋大学文学部卒。書店勤務ののち、1988年兵庫県浜坂町久斗山の曹洞宗安泰寺にて得度。視覚に障害を患い1996年から和歌山盲学校と筑波技術短期大学にて5年間、鍼灸マッサージを学ぶ。横浜市の鍼灸治療院、訪問マッサージ専門店勤務を経て、2021年より大阪市在住。
 仏教に限らず、宗教全般・人間存在・社会・文化・政治経済など幅広い分野にわたって配信しようと思っています。
このブログによって読者のみなさまの人生になんらかのお役に立てれば幸いです。
         神谷湛然 合掌。

神谷 湛然をフォローする
如是ということ
神谷 湛然をフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました