/ 99.不生不滅ということ
不生不滅という言葉が仏典でよく出てくる。とくによく読まれる般若心経を通じてその言葉を耳にしている人は多いと思う。しかし、これが何のことか理解しにくいと思っている人が大半ではないだろうか。
般若心経では以下の文章のなかで述べられている。
「是諸空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」
つまり、この世界は空だから、生まれることもなく滅してなくなることもないし、きたないこともなくきよらかでもないし、増えることもなく減こともないということである。
その空とは、‘実体がない’とよく解釈される。空を別の経典では、夢とか幻、影、電光、空華(空にありもしない華が浮かぶさま)などと形容されている。
夢幻だから生まれる存在はなく、もともと存在なるものはないからなくなりようがないと聞かされると、ムッと疑問に思ってしまうのが普通ではないかと思う。
この世にオギャーと生まれて存在し始め、成長し、老いや病気などで死んでいってこの世を去るのが世の常ではないのかと思うのが普通だと思う。仏法ではそれは誤りだと説く。頭では確固として一個の私というものが存在していると思っているだけで、実は私なるものは常に転変して、これが私だというものが把捉できないということだ。生まれてから死ぬまでずっとこの私が続いていると私の頭が錯覚しているということである。
写真を見ても全然違う。赤ちゃんの頃の写真、幼児の頃の姿、学校時代、青年時代、‘おっちゃん’となった中年時代、そして七十を手前にした自分のありさまを見た時、まったくどれも別人のようだ。思っていることも感じていることもそれぞれ違うことを実感する。子供の頃は甘いものが好きだったが、若いころは油ギタギタを好み、高齢になった今ではさっぱり系を好む傾向がある。これでは免疫力が弱くなるので時々肉や油を取るようにしている。
時代は日本も含めて好戦的な風潮が世界に広まっているようである。‘平和’とか‘友好’と叫ぶと白い目で見られる感じがある。エラい時代になったものである。
私ということに話を戻そう。
私なるものの元は父親の精子と母親の卵子との結合と見るだろうが、その精子や卵子の元の元のさらに元へとたどっていくと46億年前の地球、さらにその地球の元の元へとたどっていくと138億年前の宇宙誕生にまで行きつく。さらにその宇宙の元はとなると今の化学では?とされているようだ。その途中のものが一つでも欠ければ今の私なるものは無いことになる。こう考えていくと、一切のものが壮大な宇宙物語を刻んでいて、さらに無数の縁や関わり合いのなかで刻々転変している。
仏典では、仏も空であり、涅槃も空であり、煩悩も空であり、衆生も空であり、一切空であるという。この空を私は、すべては事象であり、転変して捉えどころがないと言い換えている。転変して捉えどころがないゆえに、それを仏典では「心」という言葉を当ててもいる。
世の中のすべての争いやもめごとは、実在しない事象を実在するものだと思い込んで我他彼此(がたぴし)をおこすことにあるとある人は言う。敵を作り出して‘我こそは一番’と言い張ってヤッサモッサする馬鹿騒ぎをもうそろそろ終わりにしたいものである。

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