/6.‘生きる’ということ
なぜ生まれてきたのか? なぜ生きるのか? なぜ死ぬのか? 死んだらどこへ行くのか?・・・。古今東西の命題である。イエスや釈尊などの賢者がその解答を教えてくれたから納得するというものでもないだろう。道しるべにはなるだろうが、一人一人が自分で探し出すしか自分のものにはならないだろうと思う。
倍賞千恵子主演の映画「プラン75」という映画がある。全盲の私には音声ガイドがない映画だったので見ていないが、見に行った妻の話によれば、以下のあらましだという。
仕事もなく、生きる張り合いのなくした75歳の女性が主人公だという。彼女は、国の勧める‘プラン75’を申し込んで、その代金として国からもらった十万円で安楽死しようとした。病院に行ってベッドに寝て有毒ガスを吸うための人工呼吸器をつけられて死のうとする寸前に、隣のベッドで先に安楽死したばかりの人を見て急に怖くなって自分の呼吸器を外して逃げ出したという話だという。安楽死した人の遺品整理中にかこつけて財布のお札をネコババするヘルパーの話や安楽死後の合同葬なら費用がタダなどのエピソードもあってなかなか面白いらしい。
この話を聞いた時、まさしく今風だと思ったものである。ただし、この人生問題は年齢に関係なくあるように思う。
明治時代に当時旧制一高生だった藤村操が「人生は不可解なり」との遺言を残して日光の華厳の滝に投身自殺した事件があった。この話は私が10歳の頃、当時高校生の兄の勉強部屋に遊びに行った時、兄から教えてもらったのが最初だった。夕暮れ前の西日が部屋に明るく差し込んでいて、そこに兄と私が畳に寝転びながら聞いていたことを印象深く覚えている。
藤村操の話は以降も新聞や本、なにかの会話などで何回か耳にしたことはあった。そのつど私には琴線に触れて気になったものだった。30歳に兵庫県浜坂にある安泰寺に入山した遠因の一つだったかもしれない。
小学6年の時、ある日の夕暮れに居間からふと窓ガラス越しに裏庭にある池を見て、自分は死ぬとどうなるのだろう? どこへ行くのだろう? と不安に襲われたことがあった。なにか深い闇の中に沈みこんでいく感覚だあった。こういう子供の頃の不安は人にはよくあるといわれる。それが大人になるにつれて日々の生活や目先のことに追われて薄れていくという。しかし、人間関係・社会関係・経済的な問題などで、なんらかの挫折をした時、無力感・無意味間・疎外感を感じて追い込まれて命を断つ人が多い。日本でも年間3万人の自殺者があるといわれ、その数は交通事故死よりもかなり多い。私の知っている人も何人か自殺した。当時安泰寺の住職であった私の師匠も自殺同然に運転していたブルドーザーごと河に転落して溺死した。跡目争いや彼の師匠でもあった前住職との確執、寺院経営への重荷などが関係したと私は思っている。筑波技術短大で同級生だった友人は、卒業後入社した会社での人間関係に悩んで二十代で自殺した。そして、私自身も自殺予備軍に何回かなった。それでもまだ自殺していないのは、死ぬのは簡単だが生きるのは大変だからである。大変だからこそ、生命は環境に適応して強靭に生き延びようとする。障害や困難な境遇、厳しい環境を克服して大いに自己実現できた人の話は、私たちに深い感銘と奮い立たせるエネルギーを与えてくれるものである。
今年(23年)の一月に熱海の来宮神社に参った。境内入口近くにある樹齢1300年の大楠はまさにすごいものだった。根元の幹の中が約300年前の落雷で黒こげとなった空洞ができていて、それも数人が入れるほどの大きな空間となっていた。それでも、今も天高く伸びんとして生き続けている様は驚嘆そのものだった。また、奥にあった樹齢2100年の高さ約26mある大楠は根元周りが24mもあって、妻に手助けしてもらいながら触った。ごつごつとしたヤマタノオロチののたうち回る胴のような太い曲がりくねっていた。直に触れた時、大地から湧き出すエネルギーに触れた感じがした。命の気に撃たれた思いだった。生命が生命として生命している。ただそれだけである。比較もなく是非もなく、それがそれとして確固として存在している様は、私たち人間に生きるとは何たるかを身をもって教えているように思ったのだった。
先日(23年3月31日)に、奈良の吉野山に妻と一緒に桜を見に行った。その時、金峯山寺蔵王堂が特別開帳されていたので、何回か蔵王堂に行ったことのある私も初めて堂内に参拝することができた。憤怒の姿の不動明王像や権現像があり、その奥には柔和な顔立ちの釈尊像などがあって全盲の私は妻の説明を聞きながら拝観させていただいた。そしてさらに奥まった一角に現代画家が描いたとかいう地獄絵が奉納されて展示されていた。説明文によると、この地獄絵を後に燃やして蔵王権現様に食い尽くしていただいて世界の平和を祈念するのだときう。説明文には、さらに、‘生きることに目的があるように、死ぬことにも目的がある’とあった。それを聞いた時、私はなにか引っかかるものを感じたのだった。
‘目的’ってなんだろう? 平和のため? 国や家族のため? 人類進歩のため? 種の保存のため? なにかいいものを作ったり、よりいいものを作るため? 生活のため? 出世のため? よりいい境遇をえるため? お金をためるため? ・・・。歴史学は、混迷無知から発展・進歩して豊かな現代社会が形成されていったように教えているみたいであるが、本当に人類は進歩したのだろうか? 世界を何百回も破壊できる核爆弾を何万発も配備しているさまは世界滅亡へのカウントダウンを歩んでいるのではないだろうか。恐竜は自身の巨大化した肉体のために滅びたといわれる。人類は過大化した脳によって滅ぶだろうとある人はいう。種の衰退が歴史の流れなのだろうか?
地球上で陸地の割合は29%という。海洋が7割も占め、そのゆえに地球は水の惑星と呼ばれている。陸地の3割が森林であとの7割に農地と生活の場となっているという。そこに80億人がいるという。地球という、宇宙から見れば塵にしか過ぎない星の一番外側の地殻の2割しかない地面の上え蠢くカビみたいな人間がお互いに睨みあったり争いしたりしている。これが‘目的’なのだろうか?
人類学では、人間の脳は群れの拡大とともに大きくなっていったという説がある。700万年前に人類は樹上生活に別れをつげて草原に降り立った時、怯やかされやすくなった生命へのリスクから守るために群れを作り始めたという。200万年前に人類の脳がゴリラの脳の500㏄を超える600㏄になった時、群れは30から50になったという。40万年前に人類の脳は現代人と同じ1400㏄となり、その時の群れは150ほどになっていたという。7万年前から10年万年前に言葉を話し始めたという。そして1万2千年前に農耕が始まったという。現代はsnsで何万人ものフォローの輪が瞬時にできる時代となったが、それでも実際に対応できる集団の規模は150人だという。大脳の限界を超えてバーチャル(仮想世界)が広がっているのが今の社会だといえよう。そういう中で五感でじかに認知することが大切になっているとある人類学者は提唱している。簡単にいえば、人と直接触れ合うことだという。
46億年前に地球が誕生し、38億年前に生命が生まれ、永い地球の歴史の中でほんの一瞬でしかない最後に現れた人類という存在はいかなるものであろうか。
天文物理学によれば、40億年後には膨張した太陽によって地球は高温融解して生物は全滅し、75億年後には赤色巨星となった膨張巨大化した太陽に呑みこまれ、100億年後にはその太陽は超新星爆発して四方に大量のガスと粉塵を播き散らすという。もしくは、大量のガスを放出しながら地球程度の白色矮星となり、やがて黒色矮星となって太陽は死んでいくという。そして放出されたガスや物質はまた新しい星の生成材料となるという。想像も絶する限りなく広く、永遠ともいってもよい時の流れにある宇宙という視点からみた時、私たち生命は極めて偶然といってもよい縁によって地球という惑星に生命を与えられたといわざるをえまいだろう。
先日、はやぶさ2が小惑星リュウグウから持ち帰ったサンプルからアミノ酸とともに生命の基盤の一つであるウラシルが見つかったというニュースがあった。隕石によって生命の基が生成期の地球にもたらされて生命が誕生したという学説を裏付ける証拠だという。生命が地球自身から作り出されたという説にしろ、隕石も地球も広大な宇宙生命の一つであることには変わりはないといえる。太陽系では今のところ、地球にしか生物は存在していないといわれている。かって火星にも生物があったといわれるが、その痕跡は今だに見つかっていないようだ。太陽系以外の遠く離れた恒星系に生命の存在をうかがわせる信号を受信できたというニュースがあったが確証には至ってはいないようだ。
以上のようなことを思った時、私たちはまことにありがかき生命をいただいて有難く生命を燃やさせていただく、それで十分ではないかと思うのである。夜空にきらめく星々のごとく偶然ともいってもよい縁によって与えられた命を輝かせる。それで十分ではないだろうか。道元禅師の‘坐禅は坐禅なり’という言葉や一遍上人の‘南無阿弥陀仏のみなり’の言葉はそのことをいっているのだと私は思う。
昨年(22年)ゴールデンウィーク前の4月終わり頃、石楠花を見に妻と室生寺へ出かけたことがあった。まだ満開とはいかず、五重塔あたりはまだ蕾だった。その中を奥の院まで歩いて行った。急な階段が何百段もあって大変疲れたが、見晴らしの良い静寂な空間で参った甲斐があった。帰りに門前にある木彫り店を見つけて入った。いろいろな大小さまざまな仏像の木彫りが陳列されていた。店主の中年男性と話しながら見て回ったが、すべて店主が一人で彫ったのだという。私はかなりぼんやりとしか見えないのだが、妻によると、細かいところまで丁寧でたいした腕前だという。私は店主の了解を得て柔らかく触れだせていただいた。その中で、五センチぐらいの普賢菩薩像を1万円少々の値段で買わせていただいた。じっくり触った時、なかなかの触感を覚えた。しかし、その店に入って一番感心したのは店主の楽しそうな口ぶりと純粋な目だった。商売っ気がなく、木彫りを楽しみながら自作品を売るといった感じだった。近くで畑など作って自給自足して暮らし、あいまに店に来るのだという。こんな山中で充実した生命の輝きの一つを見て深く感慨した。
四月(23年)になったばかりの一日の朝、自宅の廊下の壁に掲げてある月めくりカレンダーを妻がめくりながらいった。「生きがいとは存在に意味を見つけることである」と。四月のカレンダーにそう書いてあるという。なるほど、豊かな衣食住足りた生活を獲ながらも絶望して命を断つことがある。当時一高生というエリートだった藤村操もその一人といえるだろう。ノーベル文学賞をもらった川端康成も名声と稼ぎを得ながら自殺してしまった。人間というものはなにかの‘意味’を求めずにはいられないということだろうか。人間以外の生命、いやそれだけではなく、地球や太陽などの星々も含めて宇宙すべてのものは‘意味’を見い出そうとしているのだろうか。そうであるからそうであるだけだといっているように私には思える。人間がそうであることにそうであるということに満足できにくいのは、他の存在とは違って大脳を大きく発達させていった人類進化の歴史があるからだろうか。イエスは人々に‘許されてある’ことを説いた。釈尊は‘縁によって生かされている’ことを説いた。原始宗教ではすべてのものにカミが宿り、カミからの恵にによって生かされてあるというアニミズムの世界であった。科学技術文明の発達は人間からそういう謙虚さを奪って尊大な独りよがりを生産していったように思われる。存在の‘意味’が‘世界は自分のためにある’というような我儘な独りよがりであったならば、最終的には破滅しかないだろう。その象徴が核兵器ではないだろうか。人類が種としてできるだけ存在したいのであれば、生かされてあることへの探求があってしかるべきだろう。広大な宇宙のなかのちっぽけな地球でも人間の住める場所は限られている。宇宙的地球的規模に立って存在してあることの意味を問い続けることこそが、過大な脳をもった人間一人一人に課せられた課題ではないだろうかと思う。
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