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13.再び宗教について
yahooニュースのサイトを閲覧していると、広告欄にある仏教宗派の信仰団体の宣伝があった。クリックして開いてみると以下のように紹介されてあった。
浄土真宗は「在家(ざいけ)の仏教」として知られています。
「在家」とは「出家」に対する言葉です。出家とは、俗世間を捨て、山などにこもり、激しい修行をして救いを求めることをいいます。
それに対し、在家とは、家庭を持ったまま、欲や怒りやうらみ、ねたみなどの煩悩を持ったまま、ありのままの姿で、心からの幸せになれる仏教を聞いている人たちをいいます。
もちろん、やりたい放題、好きにやっていいという教えではありません。特効薬があるから、どれだけ毒を飲んでもいいよ、という人がいないのと同じです。
そして、実は浄土真宗は、生きている今、「人間に生まれてよかった」という幸せになれる教えなのです。
「人間に生まれてきたのはこのためだったのか。人間に生まれてよかった」という答え」を鮮明したのが浄土真宗であり、その教えは、800年の時を超えて、ひときわ輝きを放っています。
出家者の存在しない世界最大の宗教はイスラム教である。聖職者といわれる人も在家である。次がキリスト教プロテスタントである。牧師も一般の人と同様に家族ををもち、在家としてある。日本では出家者のいない最大の宗派は浄土真宗である。新興宗教として在家のみで構成されている最大の教団は創価学会である。しかし、これら在家宗教の存在にはそれまでの出家者たちによる筆舌に耐え難い格闘の産物であることを忘れてはならないと私は思う。浄土真宗の開祖である親鸞は死ぬまで僧形の姿で‘愚禿親鸞’と称して念仏を説いた。アラブの大商人であったマホメット(ムハンマド)は神の啓示を受けてメジナにイスラムによる共同体を作った。出家者であったマルティン・ルターは儀式と権欲に走る教皇を批判して聖書に基づく信仰を説いてプロテスタントが生まれた。
ナマの生きている人間として苦悩した出家者の答えの一つが在家であったということであって、答えのすべてではない。なぜなら在家では解決できないとして出家した人もあるからである。所縁を放捨し善悪を思わず是非を判断することなく行い(祈り、礼拝、念仏、坐禅、食事・掃除・仕事などの日常行為)に四六時中スキなく没頭できるかが問題である。私の体験では在家の人でも一週間から十日間ほどは専門道場でどっぷりとつかって精進される必要があるように思う。私がお世話になった広島の少林窟道場は曹洞宗の住職が修行専門のために作った道場であるが、参禅者のほとんどが在家であり、特にはにめて参禅する人は最低一週間の滞在を求められた上で参戦する。そのありようは接心そのもので、坐禅だけでなく食事や掃除・洗面入浴やトイレ、それのみならず移動の際の歩行、睡眠まで含めて24時間心のスキなく今現実にやっている行為に心を置くことを要求される。そして食堂での指導者とともに食を済ました後、その場で厳しい点検が行なわれる。参禅者どうしの会話もほとんどなくひたすら自己に向き合う一週間である。それまで6年あまりの僧堂生活をしたことのあった私もここまで徹底した接心を経験したことがなく、ここでの経験は私にとって人生の大きな転換点となった。すぐれた在家信者にも会ったが、その心境はいわゆる出家者以上であった。指導者と同等の確固たる自信に溢れ、指導者に阿ることもなくいい意味での‘唯我独尊’であったからである。釈迦を超え達磨を超え道元を超え指導者を超え、自分が自分になっているのであった。
出家がいいのか在家がいいのか。一人ひとりが考えていくしかないように思う。そして、そもそも出家とはなんなのか、在家とはなんなのか、宗教の世界歴史を思ったとき、形態ではなく本質こそが問われ続いているのだということである。親鸞は出家の身のままで家族をもって布教した。中国唐代の在家坐禅者、ヨウ居士は馬祖道一の下で悟りを開いて出家を勧められたが家族をすでにもっていたこともあって断って在家として世間のなかで籠作りをなりわいとして生計を立てていた。枯れが有名になったのは残した語録によるものであるが、家の中は空空として空空空なり、という貧なるありさまだったという。
一休も蓮如も僧侶の姿であったが実態は在家であった。‘女犯’を公然と行い人間のもつ欲望を全面肯定した。白隠の師匠である正受老人は山中で畑を作り柴をかって母親と生活していた在家の人であったが、実態は出家者中の出家者であった。正受老人にはこんな言葉が残っている。
「私がよって立つこの禅宗は、中国南宋末に衰え廃れて、どうにか伝わって大明に至っ
て、そこで徹底してなくなってしまった。絶滅し損った残りの悪毒は、この日本にあるとは言っても、真昼に北斗星を見るようなもの。
お前らのような鼻もちならぬ、根本の見えない出家、役立たずの凡夫には、夢にも知られないことだ」
「お前らは見かけだけの人間だ。禅を修しているようで禅が分らない。教理を学んでいるようで教の学問もいかげんだ。律を学ぶようにみえて律も身につかない。孔子の教えを学んでいるようでそれも分っていない。一体何に似つかわしいのか。私に言わせれば、衣桁にぶら下った飯袋だ」(中央公論社『大乗仏典』第二十七巻白隠 常盤義伸訳)
「いつも中断することのない坐禅を学びたいと思ふならば、矛などの武器を取って争ふ戦場でも、声を放って泣き叫ぶ悲しみの部屋の中でも、相撲や跳躍の競技の場所でも、音楽や舞踊の席に入っても、いろいろ思案をすることなく、あれこれ考へることなく、すべてを一束に束ねて公案の一則として、一気に進んで退かず、たとへ悪魔や大力の鬼に肘や腕を捉へられたまま、三千大千世界を百回千回振り回されようと、正念工夫を一瞬間も失わない者、これを名づけて真の玄々微妙の真理を究めようといふ僧侶であると言ふのだ。昼も夜も冷静な顔付をし、眼の玉をはっきりと対象に据て、毛筋ほども動かさずに居れ。頼みましたぞ。」(『日本の禅僧無難・正受』市原豊太訳)
出家であれ在家であれ、徹底して極めつくしたとき、生き生きとした生命の実態に行き着く。大小問わず宗教界でも中途半端な見識をもった人が指導者という立場に立って世界を混乱におとしめていることがいかに多いのだろうか。ローマ教皇やイランイスラム最高指導者、ロシア正教会最高指導者、キリスト教福音派最高指導者、いろいろな新興宗教団体の指導者たち・・・、彼らの言葉を聞いて思うのは、宗教家というよりは政治家ではないかということである。排外主義やナショナリズムをかきたて、‘悪を征伐する善の使者’ぶっている。
1995年3月に麻原彰晃のオウム真理教は‘ポア’と称して東京でサリンを播いて五千人もの死傷者を出した。これは国の法律によって罰せられ朝からら7人は死刑となってこの世を去った。
ロシア正教会大司教は偉大なるロシアを破壊しようとする‘ネオナチ’のウクライナ侵攻を正当化して何百万人何千万人ものを苦しめ、民間人をふくめた大量殺人を手助けしているにもかかわらず法によって罰せられることなくかえって国家の守護神として崇められている。戦前日本の宗教界のありさまとそっくりである。わからずやの中国人や朝鮮人を叩いて聖なる‘大東亜共栄圏’を作るのだと鼓舞して何百万人もの殺人を大いに讃えて喧伝したのであった。特に仏教も含めた規制教団のありさまは人殺し団体そのものであった。
出家在家以前に、宗教とはいったい何なのか、不断に問い直していく作業を進めていかなければ、いつのまにか本質から外れてとんでもないことを知らずに平気で行う。歴史はそれを教えているのではなかろうか。
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