29.平和について  (神谷湛然 記)

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  29.平和について

 ‘平和’について懐疑的な論調がここ最近出ている。今にも東アジアでも戦争が起こりそうな気配である。昨年(22年)2月24日のロシアによるウクライナ侵攻以降、さらに世界的な軍事的緊張が高まってきている。そこに核兵器使用の可能性も取りざたされている。人類のみならず地球生命を破滅しかねない危険極まりない花火遊びを展開している様はまことに愚かしい限りだと言わざるを得ないだろう。今一度立ち止まって、平和とは何なのか、素人なりに考えてみたいと思う。
 平和とは一般的に戦争のない状態だとされている。戦争とは武力でもって覇権を+得ようとする争いである。歴史をひもとけば古来から戦争のない時代はなかったといえる。ある戦争と次の戦争の間が平和といった案配である。そして、戦争の合間の平和が人々にとって平和だったのかといえばそうではないことがあるということである。
 日本では一番平和が長く続いたのが江戸時代だといわれている。三代将軍徳川家光の鎖国以降幕末の開国までの200年余りの期間を当時の人々は‘天下太平’といったものである。その平和なる国の中身は、徳川家を頂点とする幕藩体制と強固な身分制度であった。人口の8割を占めていた農民は移動の自由はなく、農地に縛り付けられて封建体制のための重い年貢を課せられていた。武士は‘切り捨てごめん’として問答無用に殺人することを許されていた。江戸後半には相次ぐ大飢饉の発生と商工業の発達、幕藩体制の硬直化などで封建体制が揺らいでいった。その間に海外から取り残された日本は幕末に列強から屈辱的開国を迫られていった。江戸時代の平和は本当に平和であったのであろうか。支配者・徳川家にとって‘平和’であったということではないだろうか。
 世界の歴史をみたとき、王朝が入れ替わり立ち代わりして変遷している。支配者が代わりながら歴史が動いていったということである。新しい支配者は古い支配者の硬直した‘平和’を壊して新しい‘平和’を打ち立てたと解釈することができるであろう。‘平和’は立場によってかわるということである。
 では、一般の人々にとっての平和とは何であろうか。不当に弾圧・迫害を受けることなく、人間が人間として生きることのできる状態だと規定しえようか。革命は人間らしい生活や権利を求めての政治行動といえる。ただ、革命後、限られたごく少数のものによって権力が遂行されとき、その体制は硬直化して過去の王朝と同じように歴史から否定されていっている。ロシア革命によって樹立したソビエト連邦がベルリンの壁崩壊まもなく崩れ去ってしまったように。日本でも、明治維新という革命が太平洋戦争の敗北によって大日本帝国が崩壊したように。私にとっては、‘人民の利益のため’に作られたはずのソビエトが実は人民のためではなかったという歴史の暴露が衝撃を与えられた。社会主義に好感をもっていた私には幻想を打ち砕かれたということであった。民主主義の発展段階として社会主義があり、最高段階として共産主義がるとマルクスは説いた。マルクスは間違っていたのだろうか。いや、マルクスの理想はいまだに実現されていないということなのだろうか。人々にとって平和とは、既述したように、不当に弾圧・迫害されることなく人間らしく生きることのできる状態としたとき、平和はまだ未完成だということである。民主主義であることが平和なのか、そもそも民主主義都は何なのか、中身が問題のようである。民主主義大国といわれるアメリカの実状をみたとき、根深い人種差別・極端な貧富の格差・経済的貧困に対する公的支援の弱さ・自己責任主義・‘切り捨てぼめん’的な銃所有の自由などをみたとき民主主義とは強い者こそが生き残るのだ、強い者こそ正しいというダウィーン的弱肉強食論のことかと思いたくなってしまう。民主主義の重要な構成要素とされている‘自由’も、アメリカは強者の自由論理で展開し、自分が不利となると他者の自由を否定して規制する。自分に都合の良いときだけ‘自由’を強弁する。ロシアや中国は問題だが、それと同等にアメリカも問題があることを日本も含めた自由主義国といわれている国や人々はみようとしない。病めるアメリカを持ち上げ、追随することはもうそろそろやめた方がよいのではないだろうか。アメリカで学んだ人や研究者は高いレベルで勉強できたり、思いっきり自由に研究できることを褒めたたえている。それはアメリカが国家戦略として教育や研究に資金を投じているからである。現在、中国が研究投資でまもなくアメリカを追い越して世界一になるだろうといわれている。日本は教育・研究投資を渋って、かって科学技術立国といわれた面影は今はないといわれている。世界覇権のためにアメリカや中国が国家戦略としていることを見落としてはならないことは明白である。ともあれ、民主主義も強者の論理で展開されていることを指摘したい。こんな民主主義は平和でもなんでもないのではないだろうか。
 また、日本では、‘平和ボケ’とか憲法九条は時代遅れだとよくいあれてきている。世界のあちこちできな臭いことが起きているのにノホホンとして悠長に構えていていいのかということである。銃をもって戦う準備をしておかないと大変なことになるということである。アメリカは安保条約があるからといって日本を守ってくれないのではないかという疑念の裏返しともいえよう。この論理は戦争のない状態を平和だとしていることである。人々が不当に弾圧・迫害を受けることなく人間が人間として生きることのできる状態を‘平和’とした視点から今の日本をながめて見たときどうであろうか。デジタル行政改革の名のもとでの国家管理統制の強化、研究・報道への規制、大企業の異常な内部留保と働き手の年々低下する取り分、企業・学校・家庭など社会全般にはびこるイジメ、男尊女卑の根強い風潮・有事法制緊急事態条項による権力の恣意的独裁的運用を可能とするナチスドイツのファシズム志向への策謀などながめてみたとき、今の日本は真の意味で平和とはいえないのではないだろうか。平和を脅かすものは外にあるのではなくて内にあるということである。日本が真の意味で平和になったとき、平和の推進者として国際社会で名誉ある地位を占めるであろう。しかし、ロシアや中国、北朝鮮が攻めてきたらどうするのだという人がいるだろう。それに対して私はこう言おう。

 敵視政策を取る限り攻撃されるリスクがある。攻撃されないためには強調することである。単に仲良くするということではなくて、政治的経済的文化的にその国の中枢に食いこむということである。交流をさかんにしてロシアや中国・北朝鮮だけでなくて世界に、真の平和とは人々が不当に弾圧・迫害されることなく人間が人間として生きることのできることだということを政治的にも文化的にも訴え広めることである。多くのロシア人、中国人、北朝鮮人も日本にどんどん来てもらって真の平和のすばらしさを理解してもらうのである。経済的には、軍事にではなくて宇宙開発や未来への先端技術開発のための教育や研究への大胆な投資と、それによる経済力でもって東アジア共同体を作ることであると考える。中国の習近平に対して日本人の多くははアメリカの忠実な‘犬’である日本政府の影響のためか嫌悪感を持っているようであるが、トランプ以降のアメリカが習近平国家主義・排外主義的専制政治にさらに追いやっていることを見落としてはならないと思う。アメリカはいつも自国の都合の良いときだけに民主主義や自由を振りかざす。戦後、アメリカは敗戦国のドイツやイタリアには軍隊保持を当然のごとく認め、同じ敗戦国である日本には執拗までに軍隊を放棄させた。黄色人種差別があったことが指摘されている。1949年の新中国の誕生と4年後の朝鮮動乱などでアメリカは自分の監督のもとでの自衛隊を作らせて共産主義に対する防波堤として日本にその役割を負わしめた。そして日本が経済大国になったとき、繊維や自動車・半導体などで日本に対して経済的規制と圧力姿勢でもって日本を屈服させた。そのあと抬頭してきた韓国に対してはアイフォンに対するサムソンの敗北のようにITで韓国の利益を抑圧した。現在は政治的経済的科学的軍事的に世界一となろうとする中国に圧迫と迫害を加えている。国益を損なうものは同盟国であろうと容赦しない、それがアメリカの民主主義であり自由の実態である。帝国主義の現代版とみた方が妥当であろう。それぞれの国には国益がある。では、日本の国益とは何であろうか。それは協調ではないだろうか。ロシア・中国・アメリカという大国にはさまれてあるだといわれているが。ことをみたとき、平和大国として仲立ちすることだと考える。すでに見本がある。スイスである。永世中立国としてスイスはどこの軍事同盟にんも属さず、たくさんの国連機関や国際機関が集まり、重要な国債会議もよく行われている。そして、北朝鮮も含めてすべての国に門戸を開いている。単に協調を旗印するのではなくて、高い精密機械技術と高度の教育・研究そして独自の通貨スイスフランに対する高い国債的信頼度でもって政治的経済的科学的文化的にトップクラスのレベルに位置している。今年23年の国際競争力ランキングでは、スイスはデンマーク、アイルランドに次いで3位であり、日本はさらに順位を落として過去最低の35位になったという。古代ギリシアの軍事国家スパルタのように軍事ばかりにかまけてしまって発展の基盤を失って弱体化して滅亡したようなことに日本はならないよう願いたいものである。

 ロシア・中国・北朝鮮のような、日本や日本人にとって気に食わない国とも協調し、積極的交流することが国益だということである。とくに、北朝鮮に対しては日本人はメディアのプロパガンダもあって拉致問題やミサイル実験で諸悪の根源とみる人が多いようである。北朝鮮の行為は人道的にお国際的にも許されることではないが、北朝鮮・金体制の立場からすれば、国際的軍事的優位性を得ることでアメリカ・中国・韓国から金体制を守るためである。‘金王朝’の存続こそが北朝鮮権力者の願望である。ただ、膨大な軍事的支出によって国は荒れ、破綻寸前だといわれているが。ともあれ、そういう国々の人々に真の意味での平和主義の素晴らしさを知ってもらうことが日本の真の防衛にになると思うのである。軍事が防衛のすべてではない。外交・貿易・情報・思想文化・教育と研究への投資・高い技術力と経済力なども防衛の重要な要素である。そして、北朝鮮にとって日本は敵ではないとさせることが最大の防衛ではないだろうか。スイスを敵だとみる国はどこもない。それこそが最強の防衛となtっているといえるのではないだろうか。
 台湾有事というのが保守的といわれている人から叫ばれている。台湾は中国の国共内戦が今も続いていることの現れである。アメリカは反共産主義の国民党を支援して台湾を中華民国として擁護した。アメリカにとって共産主義は反国益とみたからであった。のちに76年にニクソンが訪中して米中国交正常化したのは中国の広大なマーケットに注目したアメリカ独占資本の思惑と開かれた中国にすることで共産党を弱めて資本主義化できるのではとみたことにあった。共産主義を是認したわけではなかった。ところが、今や中国がアメリカを追い越そうととするレベルになってしまった。しかも中国は専制政治を強めて資本の自由を犯しているとアメリカはみた。専制主義の中国がアメリカの国益を浸食しているとみた。許すべからざる中国共産主義ということで台湾に対する肩入れが強まったといえる。習近平は習近平で、台湾を統一して国共内戦に終止符を撃った偉大な主席として名声を残そうとしている。しかし、台湾は香港と違って独人の軍隊をもつ一つの独立国のようになってしまっている。中国による台湾侵攻が起こったとき、中国国内で共産党と反共産党との内乱が起こるだろう。なぜなら政治の独裁と経済の自由との矛盾が大きくなっているからである。民衆の不満はマグマのように蓄積し、高度な専門知識と技術をもった中国人が海外へ流出している。今年4月に日本旅行のついでに大阪の我が家に寄った妻の友人である中国人家族はアメリカのシリコンバレーで働いているが、本国である中国の動向に気がかりのようであった。小学生の一人息子がいたが中国人学校ではなくてアメリカの普通の小学校に通っているらしく、あまり中国語は話せず、英語が母国語のようであった。中国にはしばらく帰らないようであった。14億人といわれる中国の人民を中国共産党といえども完全に統括するのは難しいだろう。中国王朝の変遷はそのことを教えている。私は台湾侵攻によって中国共産党は内部崩壊を加速するように思えてならない。台湾だけでなく、北京や上海、広州、南京もミサイルやドロンの空襲によって破壊されるだろう。もちろん日本もやられるだろう。東アジアはしばらくの間荒廃となるであろう。習近平はプーチンほどバカではないはずである。名門・清華大学理系出身の彼は綿密に計算する策略家だからである。アメリカも日本も中国を最大の貿易相手国としている。開かれた経済とは正反対の閉じられた政治。台湾有事を防ぐためにまずやるべきことは、中国と話し合いを根気よくすることである。沖縄南西諸島にミサイルを設置することが第一ではない。かえってお互いの意思疎通を阻害する怖れがある。大国による戦争は昔と違って破滅的な結果をもたらす可能性がある。アメリカの貧困な政治による中国敵視政策とそれに追随する日本の政治はかっての冷戦時代に戻って‘死の商人’の利益のために働く世の中になっていくようである。‘鬼畜米英’ならぬ‘鬼畜中ロ北朝鮮’を喧伝して対立を煽って、大量の殺戮兵器を人々の血税で買わされようとしている。現在世界9位軍事費の日本が数年後にアメリカ・中国に次いで世界3位の軍事大国とならんとするとき、戦前の大日本帝国の亡霊を思い出してしまう。インド、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアなども凌駕して軍事大国となろうとする政策は、戦力として軍隊なる自衛隊の地位を確率効するといえるだろう。憲法9条は初めから崩壊していたと私は考える。個人の尊重うと公共の福祉を定めた憲法13条からすれば国は国民に対して生命・自由・幸福追求の権利を守る義務があるとしている。つまり、国は外国からの侵略に対して国民を守る義務があるということである。侵略を受けたときはこれに抵抗することは当たり前である。侵害に対してこれを追い払うのが、国土防衛隊としての自衛隊の役割のはずである。13条との兼ね合いで9条をみるならば、日本国外での国際紛争の解決のために戦力を行使することを禁じ、よって国外での交戦権は認めないと解するのが筋道が通っている。ところが今の政府自民党独占資本のやっていることは台湾有事なるものを持ちだして国外で戦争をやろうとしていることである。日本自身が外国にミサイル攻撃できるようにしていることである。トマホークはその象徴であるといわれている。戦前の山東半島出兵から始まった中国侵略ー日中戦争への歩みと似たところがある。自国民の保護と自衛の名目で日本帝国軍は暴走していった歴史を思えば、国外での戦闘行為は歯止めが効かなくなる怖れがある。ひとたび戦争がおこれば泥沼化してしまうといわれている。ウクライナ戦争がその事例である。日本のやるべきことは、台湾有事が起こらないよう地道な外交努力も含めて中国共産党と台湾双方の面子が立つようすることである。私はこう提案したい。

 台湾は中国のものである。台湾は独立せず中国の一地域として存在する。ただし、中国は台湾を独自の政治経済社会軍事をもった自治地域として認める。お互いに反駁することなく互いの立場を尊重する。

 ホンコンの悲劇はホンコン自身のトップと軍事を持たなかったことにあった。「一国二制度」は、一国に独立した政治経済社会軍事をもった地域を認めるということである。かっての中国に割拠していた軍閥政治形態と似たところがあるといえるかもしれない。ともあれ、習近平にとっては過去の偉大な先輩が成しえなかった祖国統一と偉大な功労者という称号が欲しいようである。台湾は名を捨てて実を取るべきであると考える。それを、今のアメリカや日本は対決ばかりを煽って習近平をますます興奮させている。おいしい酒を飲みかわしながら腹を割って話してみてはどうかと思うばかりである。
 昨年のロシアによるウクライナ侵攻はなぜ起きたのであろうか。侵攻の前からプーチンはウクライナに警告していた。NATO加盟の撤回と中立への要求であった。それに対してウクライナとアメリカのバイデンは明確に答えず、暗黙にウクライナのNATO加盟を仄めかしていた。これはプーチンにとってロシアが国境を接して東西からアメリカに挟み撃ちされることを意味すると思ったのは当然であろう。かってのワルシャワ条約機構の仲間だったものがみなアメリカになびき、今度はソビエト連邦の一員だったものまでアメリカにくっつこうとしていることはプーチンにとって我慢ならないのは想像に固くない。かってアメリカはキューバ革命によって喉元にやいばが突きつけられる恐怖を味わったことがあった。いわゆるキューバ危機である。それと同じ脅威をプーチンが感じているはずである。その脅威を取り除くために組み安しとしてウクライナを侵攻してロシアの属国にしようとしたのは前もって予想できたはずである。ロシアの弱体化を願うアメリカとそれに追随するウクライナの招いた自業自得と私はあえて言う。ロシアへの経済制裁に参加している国は少数派である。インド・ブラジル・南アメリカ・ASEAN諸国・中東・アフリカも制裁に参加していない。アメリカの思惑で起きた戦争だと見ているからである。国家主権を侵害したとして国際社会のほとんどがロシアを批判しているが、、アメリカの我儘を考えれば制裁に参加するほどではないということである。アメリカは戦後圧倒的な軍事予算でもって世界を荒らし回った。ベトナム戦争、中東戦争、湾岸・イラク戦争、、アフガン侵攻、・・・。反米感情を心に抱く国や人は世界に多く見られる。民主主義とか自由のためではなくて、むき出しのアメリカの国益でもって蹂躙された過去をもつからである。アメリカ兵によって問答無用に銃殺された無垢の人々の憎しみは深い。日本でも特に沖縄では日米地位協定によって米兵の行為はほとんどが治外法権となっている。米軍基地内はアメリカであり日本の法律が及ばない、アメリカの植民地である。
 要はアメリカやウクライナばかりに肩をもつのではなくて、ロシアや制裁不参加国の視点・立場にも心を馳せるべきだということである。この世に絶対善だとか絶対悪だとかいうものはない。あるのは事実だけである。その事実をどう解釈するかで立場が作られていく。ある人は言った。歴史とは解釈である、と。けだし名言である。

1957年奈良県生まれ。1981年3月名古屋大学文学部卒。書店勤務ののち、1988年兵庫県浜坂町久斗山の曹洞宗安泰寺にて得度。視覚に障害を患い1996年から和歌山盲学校と筑波技術短期大学にて5年間、鍼灸マッサージを学ぶ。横浜市の鍼灸治療院、訪問マッサージ専門店勤務を経て、2021年より大阪市在住。
 仏教に限らず、宗教全般・人間存在・社会・文化・政治経済など幅広い分野にわたって配信しようと思っています。
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         神谷湛然 合掌。

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