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45.‘ミス日本’に思う
先日22日に、第56回ミス日本コンテストにウクライナ人を両親に持つ女性がグランプリに選ばれた。彼女は5歳の時に両親と共に名古屋に移住してそこで育ち、22年に日本に帰化したという。15年に、ミスユニバース・ジャパンにハーフの女性がグランプリになったことはあったが、日本生まれでない他国出身者が栄冠を得たのは初めてだという。これについて、賛否いろいろな意見が飛び回っているようである。
私は、‘ミス日本’の‘日本’とはいったい何なのか、問い直してみたいと思う。
私はこれまでのブログで、すでに、‘日本’ないし‘日本人’というものはもともと存在していなかったことを述べてきた。長い年月のなかで、‘日本’という国のまとまりが人為的に作られ、この領域に住む人たちを‘日本人’とみなされた。その歴史の産物である‘日本’と‘日本人’に、あるべき振る舞い・ならわし・気立て・姿形・言葉遣いなどを当てはめていったように私は思う。東南から北方から西方からやってきた人たちの‘人種のるつぼ’が日本であることは研究者によって指摘されている。
ただ、日本に限らず他国でもそうなのだが、その国特有の言語や振る舞い・感覚・顔立ちや姿に合わないと評価されると、差別やいじめが生じているのをよく耳にする。‘こうあるべきだ’と人は決めたがるのであろうか。
ともあれ、‘日本’・‘日本人’はこれからも変わっていくだろう。なぜなら、歴史の産物でしかないのだから。
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