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参同契(分別と無分別とを結びつける)
竺土大仙の心、東西密に相附す。人根に利鈍あり、道に南北の祖なし。霊源明依に高潔たり、支派暗に流注す。事に執するはもとこれ迷い、理に契うぽまた悟りにあらず。
(インドの偉大な覚者・釈尊の教えは、東のインドから西のこの中国に親密に伝えられて来た。人には聡いとか鈍いとかの違いはあるが、釈尊の説かれた仏の道は誰にも平等に開かれている。南派とか北派とかも関係なく真実の道は同じである。元をたどれば教えは明白で、透き通った水の底が見えるようにはっきりとしているが、時代が下るにつれていろいろな教えが出てあやふやになってきた。現象である物事に執らわれるのは初めから迷いであり、道理がわかったからと言ってそれでもって悟ったとはいえない。
門門一切の境回互と不回互と会してさらに相渉る。然らざれば位によって住す。色もと質像を異にし、声もと楽苦を異にす。暗は上中の言にし、明依は清濁の句を分かつ。四大の性おのずから服す。子の其母を得るがごとし。
(見たり聞いたり嗅いだり味わったり触ったり思ったりして感ずる世界は、無差別世界である根源という有りようにあるということと共に、そのものはそのもののとして厳然としてあるという二面性を持ち関係しあいながら存在している。これという決まったものがあるのではない(応無所住而生其心である)。眼に見えるものは形も中身もさまざまであり、聞こえるものも楽し気心地よかったり苦し気で不快に思ったりとさまざまである。分け隔てをせずすべてを一とする無分別は、すぐれた言葉、つまり根源とか真如とかという言葉に当たり、分別は、清らかだとか濁っているとかというようにものごとの違いを立てる。すべてのもの・有りようは自然に、それぞれの有りよう、つまり現象は根源から現れたものだ。としてそれはそれとしてそこに存在している。無分別分別以前にそこにあるのだ。清らかなものは清らかなものとしてあり、濁ったものは濁ったものとしてある。両者に優劣とか貴賤とかいう上下関係はなく、違いがあるだけだ。ちょうど、子供は母から生まれて存するように、明という分別は暗という無分別と表裏一体なのだ。)
火は熱し風は動揺水は湿い地は堅固、眼は色耳は音声鼻は香舌はかんそ、しかも一その蓋がぴったり合うように一の法において根によって葉分布す。本末すべからく宗に帰すべし。尊卑其語を用ゆ。明中にあたって暗あり、暗相をもって遇うことなかれ。暗中にあたって明あり、明相をもって観ることなかれ。明暗おのおの相対して比するに前後の歩みのごとし。
(火は熱く、風は動いて揺れ、水は豊かに湿り気を帯、大地は堅固でゆるぎなく、眼は物や色を見分け、耳は音や声を聞き、鼻は香や匂いを嗅ぎ、舌は味を感じる。そして、それぞれの有りようである現象は、根からたくさんの葉が茂るように、根源から現れ出たも。のである。根本とは何か、末端とは何か、本質的なところから考えなければならない。いろいろなさまざまな人が国によって地域によって立場などによっていろいろなさまざまな言語が話されている。それでも言語というものの本質からみればみな同じだ。明という分別の世界の中に暗という無差別の世界がある。だからといって、分別世界である現象か無視して暗という無差別世界である根源でもってなにもかも一色単にして現実をないがしろにしてはいけない。また、暗という無差別世界の中に明という差別世界がある。だからといって、差別世界である現象をもって無差別世界である根源を眺めてはいけない。些末な違いに振り回されて本質を見失ってしまいがちだ。如是という真如は両方を併せ持つ有りようなのだ。現象と根源はお互いに関係しあいながら表裏一体としてあり、それは、右の足を前に出せば今度は後ろにある左の足を前に出して歩くようなものだ。)
万物おのずから功あり。まさに用と処とを言うべし。事存すればかん蓋合し、理応ずれば箭ぼう相さそう。言をうけてはすべからく宗に帰すべし。自ら規矩を律することなかれ。
(すべての物にはそれぞれ自ずから意義がある。問題は、まさにその機能をどう働き出させるのか、ふさわしいあり方は何かを、考えるべきだ。調理には火はとても約に立つように、物事がそれとしてふさわしいものであれば、ちょうど箱とその蓋がぴったり合うようにいきいきと働きだし、道理にかなえば弓矢の先同士がぶつかりあうようにその物がその物として十二分に意味を発揮できる。言葉に対しては本質から捉えるべきである。表面的に捉えて物事を自分勝手にきめつけてはいけない。
触目道を会せずんば、足を運ぶもいづくんぞ道を知らん。歩みを進むれば近遠にあらず。迷うて山河の固を隔つ。謹んで参玄の人に申す、光陰虚しく度ることなかれ。
(進むべき道がわからないまま、いくら頑張っても道を知ろうか。真実に近づきつつあるとか遠のいているとかの話ではない。まったく見当違いで無意味だ。山河の深い森の中に迷いこんでそこから抜け出せなくなってしまう。老婆心ながらあえて真実の道に参じ修行する人に申し上げたい。月日を虚しく過ごして人生を棒にふるようなことはしないように。)
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