/ 60.事実は何か?
昨年の報道やSNSをめぐる問題で改めて気になるところがあったので、そのことについて書いてみたいと思う。私のブログの「47.‘正しい’とは?」の続編といえるかもしれない。
ウクライナやガザの戦争、アメリカや中国をはじめとする国々をめぐる問題、国内のさまざまな政治や経済・社会などの問題に、さまざまな報道やSNS情報などが相変わらず、あれかこれかと展開されている。そして、そこには、○○は悪で××は善だと決めつける風潮が蔓延しているように見受けられる。
私は、昨年の報道のなかで一番気になったのは米大統領選をめぐる報道やSNS情報だった。
NHKをはじめ、ほとんどの報道や情報が、‘トランプの地滑り的圧勝’と報じていることであった。ミシガン・ペンシルベニア・ウィスコンシンの3州でトランプに僅差で負けたハリスが勝っていたら、ハリス270:トランプ268となってハリスが大統領になっていたかもしれないのだ(得票数は、トランプ 49.9%の7716万弱 : ハリス 48.3%の7475万程 でその差は1.6%の240万程)。また、米下院選では共和220:民主215となって、改選前の共和220:民主212 より議席差が7から5へと縮まり、しかも共和の3下院議員が次期政権の省長官に任命されて下院から離脱し、さらに議長は多数党である共和から出すことになるので採決は共和216:民主215 となってまさに共和にとって綱渡りの下院運営となることだ。なにが‘共和党の圧勝’‘トランプの地盤磐石’なのか理解に苦しむ話があまりにも多いことに、私はほとんどのマスコミやSNSなどのIT情報に改めて疑惑の目を向けざるをえなかったものである。
私は、当時のフセインのイラクがありもしない‘大量破壊兵器所有’の濡れ衣を着せられて、アメリカをはじめとする欧米によって戦争をしかけられ、今もイラクが混乱していることを耳にする。あの頃はNHKをはじめ、日本の報道は‘イラク極悪人’だった。私も当時、そうかなと、ほとんどそう信じていた。アメリカ発の報道を丸呑みしたマスコミの姿を私は今も忘れてはいない。
国内では、兵庫県知事をめぐる話題が目に引いた。
昨年春の内部告発問題に端を発した知事による‘パワハラ問題’や‘私的流用問題’などで兵庫県政は大揺れし、全国の注目の的となった。11月の出直し選挙で現職知事が‘予想を裏切って’再選したが、公職選挙法違反の疑いなどで未だに混乱はおさまっていないようである。
その‘知事’問題では、NHKをはじめ、大手のテレビや新聞は‘斉藤悪し’、SNS上では‘斉藤さんは濡れ衣’一色といってもよいだろう。私は、斉藤氏の、感情を荒立てることなく、常に冷静にマスコミに対応している姿に、‘たいしたものだ’とかえって感心したものだった。その点で、上司の検事正に性被害を受けたとされる女性検事の泣き言会見は見苦しかった。こんな感情を乱す検事が事件の取り調べをするのかと想像すると私はぞっとしてしまう。それはともあれ、事実は何なのか、思い込みを捨てて双方の言い分を聞き、取材者自身が現場に足を運んで綿密に調べる姿勢がマスコミにも欠けているように思えて仕方ない。NHKもひどかった。‘斉藤悪し’を前提にしたような記者の斉藤氏へのインタービューや反斉藤の綿々ばかりを登場させて特集番組を作ったりして、私はあきれかえってしまった。そんな‘反斉藤’キャンペーンにかえって疑問に思った兵庫県民もいたのではなかろうか。
何が事実なのか、たとえ事実だとしてもそれを伝えるものの目を通してでしか、私たちは知り得ない現実がある。事実を伝えてはいるのだが、不都合な事実は伝えない報道や情報に何回か目にしたことがある。第三者でしかない私たちの多くは、事実は何なのか知るためには、事実を知ろうとする努力が絶えず必要だということだろう。私の場合は、右も左も中立も問わず、またマスコミだけでなく、ネット情報も参考にしている。時にはそれに関する書物も何冊か読んだりする。sNsやyoutubeなどは言い放しで表面的なことが多いようで参考程度にとどめている。XツイッターやFBなどは欲望発散の噂話としておくのが無難のようだ。しかし、その‘噂話’にとらわれ、血眼になって振りまき、あるいは振りまかれている人が多いようだ。情報のますますの氾濫に、事実を知ろうとする主体的な姿勢が強く求められているこの頃のように思う。
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