63.選択的夫婦別姓について思う  神谷湛然 記

/63.選択的夫婦別姓について思う

 選択的夫婦別姓が今国会で大きな問題の一つとなっている。私は結婚して妻と生活しているが、籍に入らずに妻と内縁関係となっている。だから、私も妻も生まれた時からの姓名を持っている。ここ最近、私たち夫婦のような、籍に入らない人が増えているようだ。経団連も選択的夫婦別姓制定に積極的になっている。
 しかし、自民党保守派や‘古き良き日本’を求める層からは夫婦別姓に一貫して反対のようである。その理由として、夫婦同姓は日本の伝統だとか、夫婦別姓は家族の崩壊につながるなどと言っている。
 夫婦の姓名については歴史的には以下のようになっている(ネット検索した法務省サイトから抜粋)。
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 我が国における氏の制度の変遷
○ 江戸時代
  武士は,氏を名乗ることが許され,武家の女性は,婚姻しても実家の氏を名乗っていた。
 一般に,農民・町民は,氏を名乗ることが許されていなかった。
○ 明治3年9月19日太政官布告
  平民に氏の使用が許される。
○ 明治8年2月13日太政官布告
  氏の使用が義務化される。
○ 明治9年3月17日太政官指令
  妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。
○ 明治31年民法(旧法)成立
  「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」,「妻ハ婚姻二因リテ夫ノ家二入ル」とされ,-般に婚姻により夫の家に入る妻が夫と同じ氏を称することとなる(夫婦同氏制)。
○ 昭和22年改正民法成立
  夫婦は,婚姻の際に定めるところに従い,夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
○ 昭和51年民法改正
  離婚後における婚氏続称制度が設けられる。
※ 婚氏続称制度(民法第767条第2項)とは,夫婦が離婚すると,配偶者の氏を称していた者は元の氏に戻るが,それに伴う不便を解消するために,離婚の日から3ヶ月以内に届け出ることにより,婚姻中の氏を称することができる制度である。
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 以上からわかるように、夫婦同姓は日本の伝統でもなく、明治31年の民法成立までは夫婦別姓が一般的だったということである。では、明治民法成立以前の夫婦別姓だった時代では家族が成立しにくかったということは事実として聞いたことはない。
 私には、選択的夫婦別姓に反対する精力の家庭観は明治民法の前の明治22年(1889年)に発布され、その翌年に施行された大日本帝国憲法に基づく国家観を理想としているように見える。
 夫婦別姓になると、その間から生まれた子供の姓名はどうなるのかと心配する声を聞く。私案として、夫婦それぞれの姓を合成したものにすればよいのではと思っている。例えば、佐藤さんと鈴木さんの間に生まれた子供の姓は‘佐鈴’というようにするということである。中国や韓国では夫婦別姓であるが、子供には夫婦の姓を合成した氏姓をつけられている例があると聞く。李さんと馬さんの間の子には例えば‘李馬’というようなものだ。一般的には中国や韓国では夫婦どどちらかの姓を子につけている。だからといって、中国や韓国では家族が崩壊しているとは聞いたことがない。家族同姓が義務となっている日本では家庭崩壊がよく耳にするのはどういうことだろうか、と不思議に思ってしまう。
 法務省によれば、夫婦同姓を法律で義務づけているのは、現在では日本ぐらいなものだと言っている。
 私は、夫婦別姓は‘選択的’であるから、選びたい人が選べる制度にしようとするのが狙いであるから、よろしいのではないかと思っている。子供には夫婦間でよく相談して氏姓を決めたらよいのではないかと思う。
 松岡政剛の「日本文化の核心」によれば、日本の‘家(イエ)’は概念が広く、曖昧だと言う。狭い意味での家族から氏神を中心とした集落、殿などとという主君とそれに奉公する家来の一団、茶道や華道・舞踊や邦楽などの流派などと幅広い。現在では企業名がブランド化して‘家’になっているようだ。西洋のいう家は、ハプスブルク家とかケネディー家のように血縁関係に留まっていることとは次元が異なっているようだ。
 是枝裕和監督の「万引家族」や山田洋次監督の「男はつらいよ」の映画を見て思ったのは、家族とは血縁というよりも情愛でもって成立するものではないかということだった。
 横溝正史の「犬神家の一族」では、一代で巨万の富を築いた父親が死んで残された腹違いの三姉妹とその子たち、その父親の元にいた養女など、厖大な遺産相続をめぐる犬神家一族間の骨肉の争いは、家族というよりもエゴ丸出しの、生き馬の目を抜く阿修羅のごとき世界である。犬神家には保守派と呼ばれる勢力がイメージする‘家’は実質的に存在していなかったように見える。西郷隆盛の‘子孫に美田残さず’がつくづく深く考えさせられる。
 「無常たちまちに至るときは、国王大臣親ジツ従僕妻子珍宝たすくるなし。ただひとり黄泉におもむくのみなり。おのれにしたがいゆくはただこれ善悪業等のみなり。」と「修証義」という曹洞宗の経典は言う。釈尊は死ぬ前に弟子たちに、‘自らを灯として、法を灯として生きなさい。けっして私(釈尊)をあてにしてはならない。’と諭したといわれる。一人一人が独立した人格を持つ存在としてしっかりと大地を踏みしめるように生きなさい、と私たちに強く呼びかけているように思う。そういう視点から思うならば、私には氏とか姓はあまり価値があるようには思えないのである。とりあえずは名前は一種の符丁みたいなものであり、その符丁に思いがあるなら、その符丁でいいのではないかと思っている。私の得度名は‘湛然’であるが、これは永嘉大師の「証道歌」にある‘当処を離れず、常に湛然’から取っている。今ここを離れず、いつも静かな湖面のようにどっしりと落ち着く、という意味である。至らないこと多い自分であるが、この言葉を座右の銘として私の生きる指針としている。
 それぞれがそれぞれでいい時代になってほしいものだと私は思っている。それは、同時に、それぞれが他のそれぞれに対して認め尊重するということでもある。

1957年奈良県生まれ。1981年3月名古屋大学文学部卒。書店勤務ののち、1988年兵庫県浜坂町久斗山の曹洞宗安泰寺にて得度。視覚に障害を患い1996年から和歌山盲学校と筑波技術短期大学にて5年間、鍼灸マッサージを学ぶ。横浜市の鍼灸治療院、訪問マッサージ専門店勤務を経て、2021年より大阪市在住。
 仏教に限らず、宗教全般・人間存在・社会・文化・政治経済など幅広い分野にわたって配信しようと思っています。
このブログによって読者のみなさまの人生になんらかのお役に立てれば幸いです。
         神谷湛然 合掌。

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