40.年頭にあたって: ‘神仏習合’は日本人の生み出したすばらしい思想  神谷湛然 記

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  40.年頭にあたって: ‘神仏習合’は日本人が生み出したすばらしい思想

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  明けまして、おめでとうございます。
  皆さまにとって良き年でありますよう、祈念申し上げます。
        2024年1月1日

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 さて、今年もいつものように年初は恒例の初詣でで、あちこちの神社や寺が賑わっていることでしょう。そして、多くの人は新しい年の無事と幸せを祈願なされることかと思います。
 ところで、日本人の宗教性は世界から見ると異例のように映っているようです。七五三を神社で祝い、結婚式は神式かキリスト教式で挙式し、お葬式は仏式で執り行う、年始は神社(一部には寺)に詣で、年末の大晦日にはお寺で除夜の鐘を聞きながら新年を迎えるという風景をよく目にします。家には神棚とともに仏壇がある方が多いかと思います。
 私も曲がりにも仏に仕える出家者の身でありながら、妻との結婚式は出雲大社で挙げて出雲大神に宣誓し、亡父や妻の父の葬式は真言宗の寺で行いました。昨年は、年初には石清水八幡宮に初詣し、3月末には吉野に行って桜花見とともに蔵王権現という修験道の本尊にお参りし、5月中旬には奈良市の新薬師寺へ参って薬師本尊に合掌礼拝し、お彼岸とお盆には妻の父の眠っている吹田の真言宗の寺へ墓参りに行って般若心経を唱え、クリスマスにはキリストの誕生を‘祝って’?食事しました(なお、私が30代のころ、修行していた寺ではクリスマスを祝って全員で大きなケーキをいただいたことがありました。その修行道場は仏典だけでなく聖書研究にも熱心なところで、何人かの外国人雲水さんもいました)。大阪の自宅には、神棚には天照大神・八幡大神・善光寺如来(妻の亡父の代からなぜか神扱いになっています)があって、その前に弓矢が横に置いてあり、仏壇には奥の上段中央に大日如来、左に不動明王、右に弘法大師の絵像があり、一段低い棚の右側に妻の父の位牌が座しています。そして朝食前と就寝前に私たち夫婦は毎日欠かさず神棚と仏壇にお参りしています。
 ‘世界基準’からすればなんとちゃらんぽらんな宗教態度かと非難されそうです。とくに、ユダヤやイスラムの人からは総すかんを食らうようです。偶像崇拝もはなはだしいと糾弾されること間違いないでしょう。日本のある宗教団体からは‘破邪顕正’として袋叩きされそうです。しかし、私はそういう‘原理主義者’に対して堂々とそのちゃらんぽらんの素晴らしさを訴えたいです。
 あなたはどんな宗教を信仰していますか?と聞かれた時、日本人の多くは‘無宗教’と答えるようです。それにもかかわらず、来日した外国の人のなかには、日本人の初詣やお盆の墓参りなどに日本人の‘熱烈な’宗教態度を見るようです。確かに正月冬休み・お盆夏休みは日本のほとんどの会社が同時に休みをとり、学校もすべて休学期間です。とくに正月三が日は役所も銀行も休みです。ただし商売の人たちは稼ぎ時ということで一番忙しい時期ですが。道路も鉄道も大渋滞大混雑のオンパレードで、皆さん、くたくたのようです。私も初詣の混みように心身疲れて家に帰ってきます。しかしそのくたくたを私もそうですが楽しんでいる節があるように思います。コロナ禍でどこもかしこも閑古鳥が鳴いていたときは、かえってわびしさを感じて物足りなさを覚えたのは私だけでしょうか。賑わうたくさんの人とともに神に祈り、仏に合掌礼拝し、日本の祖神を崇め家族の祖先を弔う、そこに、人類古来からのアニミズムの息遣いを私は感じます。
 アニミズムは、すべてのものに神が宿るという宗教観です。山の神・海の神・水の神・火の神・木や森の神・岩の神・田や畑の神・太陽の神・月の神・・・、はたまた道具や刀などの武器や日常生活に使う物式(茶碗や箸、しゃもじ・かまど・家・蔵など)、言葉の一音一音、手を振ったりおじきをしたりなどの動作など、一切合切のものに神がおわしますということです。すべてをもの=物ととらえ、物はすなわち神だということです。そして、その神はときには暴風雨や地震・噴火・火災・天然痘などのおそろしい伝染病などをもたらす荒ぶる神、すなわち鬼となると古代人は考えたといわれます。‘もののけひめ’の‘もの’は神であり鬼でもある‘物’なのです。鬼となって荒ぶる神をなだめるために人々は祭りを大々的に催して神の怒りを鎮めて人々に恵を与えてくださいますよう祈る儀式を行ってきたといわれます。神は恵みをもたらしてくださいますが、ときには鬼となって災いを与えられ、多くの人を死なせていかれます。豊穣をもたらされる神ほど破滅の災いをもたらすといいます。現代風にいえば、神を大自然ととらえてよいかもしれません。
 仏教には曼荼羅があります。中央に大きな仏があり、そのまわりをたくさんの小さな仏がとりまくように描かれ、そういう図画が何百も四方に展開されています。そしてそのたくさんの曼荼羅の中央に特大の毘盧遮那仏すなわち大日如来が鎮座しています。仏教による宇宙を説明しているとされています。仏教用語では宇宙を‘三千大千世界’と呼び、過去・現在・未来の時空に存在するもろもろを‘三世諸仏’としています。これはまさしく一切合切に神が宿るというアニミズムそのものではないかと思うのです。
 神仏習合では太陽神とされる天照大神は大日如来の化身とされ、八幡大神は観世音菩薩の化身とされます。廃物棄却される明治初頭以前では、神社の中に神宮寺があったり、神像と仏像が並んで祀られるのが一般的だったようです。そして柏手を打つことはあまりなく、手を合わせる合掌低頭(ていず)の拝礼が普通だったようです。神仏習合の初期では神と仏は同等の立場だったようですが、時代が下るに従がって僧侶が神官の上に立つようになり、仏が神の姿に変えて人々を導くという本地垂迹説が広がったようです。しかし、神仏習合のもとを考えたとき、あらゆるものに神が宿るというアニミズムと、あらゆるものには仏があるという‘悉有仏性’と相通じるように思えます。日本人の先史時代から抱く八百万神(やおよろづのかみ)信仰という多神教観念が仏教と同化したといえましょう。異質なものも受け入れて共存していこうとする姿は、マレー半島などの東南アジアから、シベリアなどの北東アジアから、朝鮮や中国などの東アジアから移動してお互いに融和して混然と交じり合って日本人が形作られていったという最新の学説が示す日本人の形成過程にあるように思えます。共存思想の土壌が育てられて、そこから神仏習合が生み出されたといえるかもしれません。
 明治になって廃物棄却によって神仏習合が否定され、天皇を唯一絶対の神とする国家神道という一神教が生まれました。他の宗教は国家神道の下位に置かれました。共存を許さない宗教の土台が形成されたといえます。そして、その行き着いたところが、国家神道の名のもとで多くの宗教も弾圧され、日本人の破滅寸前までいってしまった大東亜戦争という、日中戦争・太平洋戦争という十五年戦争ではなかったでしょうか。キリスト教やイスラム教、ユダヤ教などを悪く言うわけではありませんが、一神教は他との共存を許さない独善的な排外主義に陥りやすいワナのあることを指したいです(共産主義とか自由主義など、宗教化された政治思想も一神教といえるかもしれません)。日本人は自信と誇りをもって寛容な共存思想である神仏習合、多神教的‘無宗教’精神、ちゃらんぽらん宗教態度を表明すべきだと思うのです。そこにこそ、世界の宗教的問題解決のヒントがあるように思います。

1957年奈良県生まれ。1981年3月名古屋大学文学部卒。書店勤務ののち、1988年兵庫県浜坂町久斗山の曹洞宗安泰寺にて得度。視覚に障害を患い1996年から和歌山盲学校と筑波技術短期大学にて5年間、鍼灸マッサージを学ぶ。横浜市の鍼灸治療院、訪問マッサージ専門店勤務を経て、2021年より大阪市在住。
 仏教に限らず、宗教全般・人間存在・社会・文化・政治経済など幅広い分野にわたって配信しようと思っています。
このブログによって読者のみなさまの人生になんらかのお役に立てれば幸いです。
         神谷湛然 合掌。

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