/ 107.軍事化か非武装化か
世界は‘防衛’の名のもとに軍事力増強が趨勢となっているようである。日本も例外ではないといえる。なぜなら、例えば、2026年4月から防衛特別法人税の徴収が始まり、翌年1月からは震災復興のための復興特別所得税を半分に減らした分を防衛特別所得税として国民に課税することが決まっていることは、防衛費増大のためだと政府自らが言っているからである。将来的には国民総生産GDPの3.5%ないし5%にまでもっていきたいようだ。その額は20兆円ないし30兆円あまりとなる。戦前では、昭和11年では軍事費がGDPの5%ほどだったのが、昭和19年にはGDPの98%あまりと、GDPとごぼ同額にもなってしまったことがあった。アジア・太平洋戦争の遂行のためであった。今の日本も日本国憲法第9条を変えて戦前と同じ道を辿っていくのだろうか。
日本の世論は中国・ロシア・北朝鮮に厳しい。国交がなく、拉致問題もある北朝鮮には厳しいのは理解できるが、国交があり、しかも国連常任知事国でもある中国やロシアとの政治的外交的関係がきわめて稀薄になっている現状は戦前のある暗い側面を思い出される。にもかかわらず、特に中国は今でも日本にとっての最大の貿易相手国だ(中国にとっての最大貿易相手国はアメリカであり、日本は3番目の位置づけである)。
朝鮮有事や北海道有事があまり言われなくなって台湾有事ばかりがやかましく言われている。しかし、ひとたび台湾有事がおこって日本が参戦したら、朝鮮有事も北海道有事も同時に発生して、北方からロシアが、日本海から北朝鮮が軍事攻撃する可能性をある識者は指摘している。その時、アメリカ軍はどおにいるのだろうか。アメリカは日米安保があるからといって助けてくれるとは思わないほうがよいと、日本のアメリカへの‘甘え’を批判する識者もいる。
軍事力増強によって相手国を恫喝し、威嚇しようという発想は、ナショナリズムの政治家や軍人ないし軍事家によくみられるように思う。緊張緩和と協調を図っていこうという考えが昔からあまりみられないのはおもしろい現象だ。彼らは‘戦う’ために生きているのだろうか。
私は現在、『決定版 日中戦争』(波多野澄雄他 新潮新書 2018年)を読んでいる。これは、2006年秋に中国の胡錦涛主席と日本の安倍晋三首相との合意に基づき、同年12月から3年間に渡って開催された日中共同歴史研究から、日本側の研究者の論文をもとに編纂された本である。中国を毛嫌いする高市早苗首相が師と仰ぐ安倍氏が日中相互理解促進に積極的だったことはなにか皮肉めいたものを感じてしまうのだが。それはともかく、日本による中国侵略は学術的にも動かしがたい事実だということである。そこへの確認が多くの政治家や日本の世論にますます弱くなっているようみ思える。それどころか居直って‘日本はよいころをした’と広言する有名人がいる始末である。
なぜ現在は世界も日本もギスギスして‘防衛強化’として軍備増強に血マナコだろうか。私はそこには二つの側面があると思う。すなわち、一つ目は自国第一主義によって自国本位になっていることであり、二つ目は‘防衛’への国費投入を増やすことで軍事産業育成をもって経済不況を打開しようとしたいのではないかと思う。
日本国内では、上下水道や道路・橋・鉄道などの公共インフラの老朽化が著しく、更新がやかましくいわれている。能登や熊本などで大きな地震も何回か発生して、防災対策も急務となっている。それにもかかわらず、政権はそれらよりも‘防衛’がお好きなようだ。
ウクライナ戦争は、バイエン米前大統領がプーチン露大統領にウクライナのNATO加盟はないことを確約しなかったことにあるように思える。不信から招いた戦争だということだ。また、今の中東戦争でも、アメリカとイスラエルが双方にとって‘大嫌いな’イランを抹殺したいという思いが高じておこったようにしかみえないところがある。イランがハマスを使ってイスラエルを攻撃したことは事実だ。結局は相互不信によって‘共存共栄’ができないということだ。この中東戦争も不信から生じたといえないだろうか。
人間関係と同様に国家関係も相互信頼によって問題の解決ができるではないかと思う。古代ギリシアのペロポネソス戦争はアテナイとスパルタとの相互不信と軍事力増強によっておこったといわれる。つまり’相手を粉砕して覇権を握ろうということだ。だが勝利したスパルタも長引いた戦争による疲弊で北方マケドニアに征服されてしまったのだった。軍事化は非生産的がために国力を弱めるという教訓のように思える。軍備増強には限りがない。むしろ、非武装化によって緊張緩和を促して国際平和と軍事以外に国力を強くするほうがより生産的のように思えるのだが。
地球温暖化が叫ばれて久しい。ある地域では異常な酷暑と旱魃がおこり、別の地域では瀧水のような豪雨と洪水が発生しているニュースをよく聞く。十万年かえて進んできた気候変動が、今や、わずか十年で進行しているのが温暖化の大きな問題だとある気象科学者は言う。沖縄の与那国島沖には古代遺跡かもしれないという「海底遺跡」が沈んでいる。これと同じように平野にある都市が将来的に海に沈むかもしれないとある識者は警鐘を鳴らしている。生態系が急速に変化して農業も今まで通りにいかなくなっているといわれている。愛媛県や静岡県・和歌山県・九州では、みかんから亜熱帯性のアボカドに切り替えようとする農家の動きがあると聞く。この温暖化に戦争も大きな一因になっていると指摘されている。急速に進行する地球温暖化に、戦争やミサイル・兵器競争にかまけている暇があるのだろうかと言いたいものである。
戦争や軍備に費やす資金や労力をそっくり温暖化対策やインフラ対策などという生産的な方へ廻せないだろうか。だからこそ、軍事化ではなく、非武装化への道を促進することが急務になっているのではないかと思うのである。

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