34.多様ということ  (神谷湛然 記)

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  34.多様ということ

 ‘共生’とか‘共存’などと言われて久しい。しかし現実はまだまだ強者の論理があるように思える。現代社会の抱えている問題を、具体的な題材を通じて私なりに考えてみたいと思う。
 LGBTQは日本ではまだ大きな問題であるようである。概して右寄りといわれる人たちは否定的であり、左寄りといわれる人たちは肯定的なようである。しかし世界をみるとそんな単純なものではないようである。中国やロシア、イスラムの国々、原理主義者たちなどは否定的である。アメリカ共和党もそうみえる。反対に、EU諸国やオーストラリア・ニニュージーランド・カナダ・台湾などは肯定的と認められる。アメリカ民主党もその立場であろうか。LGBTQは政治的宗教的文化的な対立点として扱われているようにみえる。
 私は、これまで男という観念、女という観念が実は社会的に作られたものであることを指摘してきた。‘女’という観念を持った男性、‘男’という観念を持った女性がいても不思議ではないこともすでに述べてきた。歌舞伎の女形(おやま)、宝塚の男役スターはそれを見事に演じている。また、幼児研究者によって性別観念が社会的に醸成されていくことを明らかにしている。多くの幼児が1日を過ごす保育所や幼稚園など、子ども教育の現場では、物的環境として、衣服や持ち物、表示物における男女の色分け、人的環境として、保育者の働きかけや園児同士の相互作用における男女差が認められると指摘されている。にもかかわらず、‘男’になりきれない男性、‘女’になりきれない女性が現れるのは当然であろう。なぜなら生きた生身の存在であり、また個性は千差万別だからである。
 日本は欧米諸国からみるとLGBTQ後進国と思われている。アメリカのエマニュエル駐日大使をはじめとした日本以外のG7駐日大使が今年5月の広島サミット前に岸田首相にLGBTQ法の早期成立を促したのは当然と言えるかもしれない。伝統的家族形態が崩壊して男女関係なく一人一人が社会的経済的自立の時代となっている現在、多様性をお互いに認め合い尊重しあう社会が必要とされているように思う。
 次に、‘ワクチン’に触れてみたい。この問題に関しても賛成・反対どちらも政治的色彩が強いように感じられる。コロナワクチンは緊急的措置による仮承認によって世界で実施されたことははじめから明らかであった。どういう副反応が出るのか、効果はどのくらいでどれだけ持続するのか、不透明なところを残しながらの見切り発車であったことは最初からわかっていたはずである。臨床試験が不十分なままであったから人体実験といわれても仕方ないところはあったといえる。コロナウィルスの猛威がふるう中、人々がメディアやマスコミ、医療関係者の意見、周りの人たちの話などを考慮しながらリスクと効果を天秤にかけながらワクチンを打つかどうか判断したと思う。私もそうやって4回受けた。注射されたところを中心とした腕の痛みと強張り・38度の熱・数日間の倦怠感が発生したが、ワクチンを受けてよかったと思っている。副反応はすでに知らされていた範囲内であったし、当座にしろ安心感を持つことができたからであった。問題はワクチンによる後遺症や事故(死亡も含めて)への対策が国は後向きであったということである。立憲民主党の原口氏はそこを問題にしていると私は思う。ところが、ワクチン反対論者の中には製薬会社や金融資本の陰謀を喧伝してアメリカ共和党トランプ派のごとくノーマスク運動を展開していた。彼らの論理を聞いていると、‘コロナはただの風邪’‘製薬会社によるコロナ散布と金儲け’といっているように聞こえる。ただしトランプはそういいながらひっそりとワクチンは打っていたとメディアは伝えていた。ワクチン反対論者のなかには、また、コロナに限らず、いわゆるワクチンそのものを否定しているように聞こえることがある。無農薬・無添加・自然食品主義からなのであろうか、‘自然治癒’がモットーのようである。天然痘は18世紀末にイギリスのジェンナーによる種痘にはじまったワクチンによって今日はほぼ全滅したといわれている。幼児時期に風疹・はしかのワクチンを打った人はその免疫を一生持っている。インフルエンザワクチンも曲がりながらもインフルにかかっても軽症に済んでいるといえる。私も毎年冬にインフル予防接種を受けていてそう実感している。ワクチン反対の人の中には、ワクチンとウィルスに対する正しい理解がないように思われてならないことがある。そして本当に‘自然’というものを考えるならば、地球生命という広い視野に立ってみるべきだと思う。私たち人類が万物の霊長類でもなんでもなく、他のあらゆる生物(植物も含めて)と同等の位置にあり、無限の多様性のなかで相互関連しあいながら存在していることを考えるべきではないかと思う。そういう意味で戦争は大いなる自然破壊であるといえるのではないだろうか。核兵器はその最たるものだと思うのである。
 グローバリズムがよく叫ばれている。グローバルな視野、グローバルな社会、グローバルな人材・・・。だが、‘グローバル’の中身をみると、アメリカ的価値観の普遍化のにおいが感じられて仕方ないのである。アメリカ英語を話すことが国際人と錯覚している節がある。中国語・タガログ語・シャム語・スワヒリ語・アラビア語を話す人は‘変わった人’と思ってはいないだろうか。私の妻は会社務めの時、英語を話せることがインターナショナルと思い込んでいる空気があったと言っていた。アメリカ中心主義のグローバリズムはアメリカ金融資本の願望であることは久しく指摘されている。第二次世界大戦の最大の勝者であるアメリカは戦後、かって大国であったイギリス・フランスをはるかに凌駕して対ソ戦略の名のもとで世界における覇権を打ち立てた。日本も完璧にアメリカの体制に組み込まれてアメリカの‘属国’となった。しかし今はアメリカは単なる国になりつつあるようである。G7は過去の異物同然となって国際的地位は失っているとある識者はいう。BRICSは先日(8月25日)に南アフリカでの会議で6か国(イラン・サウジアラビア・エジプト・エチオピア・UAE・アルゼンチン)の追加参加を承認したという。これからもBRICSに加わりたいという国がインドネシアをはじめとして40か国あるという。ある識者によれば、参加希望の国々は中国・ロシア陣営に入りたいからではなくて、アメリカを中心とした西側諸国と中国・ロシア連合との間の力関係を利用しながらグローバルサウスと呼ばれる国々の求める多極化した世界の実現があると指摘している。現在、グローバルサウスと呼ばれる南半球の国々が世界の中心になりつつあるといわれている。一つの価値観でもって世界を支配しようとする勢力は力を失っているようである。アメリカによる対ロ制裁参加に日本を含めた西側諸国の40か国にとどまっていることは世界におけるアメリカの力の低下を物語っている一例であろう。中国も経済の低迷と政治の硬直化で力を失いつつあるように見える。ロシアもウクライナ戦争でかなり力を失っているといわれている。そうしたなかで、先日のインドの月面南極着率成功のニュースはグローバルサウスの誇らしげな勝利宣言のように私には聞こえたものであった。多様性が進む中で、アメリカをはじめ中国・イギリス・フランス・ロシアの国連常任理事国5か国は核兵器という‘無用の長物’を公然と許されて持っていることによってかえって力を失うように思える。対立ばかり煽るこれら5か国は多様性の共生を求める多くの国々に反することをやっているからである。ウクライナ戦争は結果がどうであれ戦費の増大と資源価格の高騰によって日本も含めた欧米諸国・ロシア・中国の凋落を促しているように見える。日本が成長していきたいならば、‘対立’の看板をおろして多様性の共生をめざす多くの国々・人々と手を取り合っていくべきではないだろうか。日本は将来的に日米安保条約の破棄と新たな日米平和条約の締結、スイスのような自国防衛のみを宗とする武装中立国家となったほうがよろしいように思える。今、日本は実質的に侵略を可能とする武装国家となっている。それも世界第3位の軍事費を持つ国家になろうとしている。その中身はアメリカからのミサイル買い付けといつ手に入るのかわからないアメリカからの武器・兵器の前払い費用だとある人は言う。つまりアメリカ軍事産業の下支え役ということである。‘対米従属’‘アメリカの属国’‘アメリカに忠実な犬’‘アメリカ51番目の州・日本’などといわれて久しい。敗戦後、GHQから始まったアメリカの対日占領政策はある意味では今も続いていると言えよう。多極化が進んでいるといわれるこの世界において日本はどうあるべきなのか、私たち一人一人が考えていくべき時代に来ているように思われるのである。

1957年奈良県生まれ。1981年3月名古屋大学文学部卒。書店勤務ののち、1988年兵庫県浜坂町久斗山の曹洞宗安泰寺にて得度。視覚に障害を患い1996年から和歌山盲学校と筑波技術短期大学にて5年間、鍼灸マッサージを学ぶ。横浜市の鍼灸治療院、訪問マッサージ専門店勤務を経て、2021年より大阪市在住。
 仏教に限らず、宗教全般・人間存在・社会・文化・政治経済など幅広い分野にわたって配信しようと思っています。
このブログによって読者のみなさまの人生になんらかのお役に立てれば幸いです。
         神谷湛然 合掌。

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