/ 26.妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈 神谷湛然 改訳
世界は咲き乱れる蓮の花のごとく不可思議なありように輝いていることを述べる教え
自由自在なるありようが普く働いていることを詩にして歌う
世界の不可思議なありさまを見通された釈尊よ、私(無尽意)は今再びこのことを尋ねます。真覚者なる仏の弟子をどういう理由で自在者(観世音)と名づけられたのですか、と。
世界の真相を見通された釈尊は詩でもって無尽意に答えられた。
そなたよ、いろいろなさまざまなところに応じて自在なるありようが見事に働いていることをよく見聞きしなさい。その働きは海のように深い誓いを宇宙いっぱいに発せられた。それから永遠ともいえる人間には推し量ることのできないほどの長い時が過ぎた。宇宙いっぱいに無数無限の真実者たちを付き従がわせて、自在者は大いなるまじりけのない願いをおこされたのだ。
私はそなたに要略して説こう。
自在者のことを耳にし、自在者にまみえて、心にスキを見せることなく不断に自在者のありようを実践しているならば、いろいろな苦悩をなくすことができるのだと。
もし誰かに害せられて怒りの炎の孔に落とされるとき、この自在なるありように落ち着いたならば燃え盛る孔が豊かな池となって怒りの炎は消えるだろう。
あるいは大海に漂流して海の怪獣や悪魔のに襲われるような悪感情の嵐が吹きすさぶとき、この自在のありように落ち着いたならばその嵐の波に飲みこまれることはないだろう。
あるいはヒマラヤのような高い山にいるような幸福の絶頂地のときに誰かにそそのかされて貶められたとき、この自在なるありように落ち着いたならばドン底に堕ちずにすむだろう。
あるいは誰か悪さする人に追われて金剛山にいるようなこの上ない順風満帆から蹴落とされたとき、この自在のありように落ち着いたならば一つも損なわれることはないだろう。
あるいは悪賊のような怒り・そねみ・妬み・謗りなどに取り囲まれて害を加えられるとき、この自在のありように落ち着いたならばこれらの悪はことごとく慈しみの心に変わるだろう。
あるいは王のような権力者からの苦難に遭って刑に処せられようとするような切羽詰まったとき、自在のありように落ち着くならばその刀のごとき悪はことごとくバラバラになってあなたを救い出すだろう
あるいは手枷足枷されて束縛されるようなとき、この自在のありように落ち着いたならばその束縛から一気に解放されるだろう。
呪いのまじないや毒薬のような悪しきもので人を害しようとする者がいたとき、この自在のありように落ち着いたならば、その報いは害を与える者に帰るだろう。
あるいは悪権現や魔物・悪鬼などのようないろいろな悪感情にあうとき、この自在のありように落ち着いたならばことごとくすべてがあなたを損なうことはないだろう。
あるいは恐ろしい猛獣のような怒りに取り囲まれてするどい牙や爪を研ぎ澄まして襲われようとするとき、この自在のありように落ち着いたならばその恐ろしいものはどこか遠くへ走り去ってしまうだろう。
ヘビやサソリのような妬み・そねみが毒気や悪炎を蒔き散らすとき、この自在のありように落ち着いたならばこの自在の声に従がって自然と去っていくだろう。
雷光のような悪感情がはげしくとどろき響いてあたり一面が悪のどしゃぶりになるとき、この自在のありように落ち着いたならばすぐに消滅して晴れ渡るだろう。
生きとし生けるものは困難と無量の苦しみを被っている。しかし、自在の不思議な力は世間のこのような苦しみを救うことができる。不可思議な力を供えて、その智慧とそれぞれにあったやり方でもって広く働きかけ、その実践は宇宙いっぱい、世界いっぱいに展開されていて、その働きが現れないところはまったくないのだ。さまざまな悪しき世界、地獄・餓鬼・畜生、生老病死というこれらの世界の苦悩はその自在なる働きによってことごとくなく消え失せるのだ。
これは、真実であり、汚れなき清浄であり、宇宙いっぱいの智慧であり、慈悲の力である。いつも仰いで見なさい。汚れなくまじり気のない純粋なる光であり、その智慧の陽光が闇を破って禍や嵐の禍根をよく平らげて、あまねく世界を明るく照らすことを。
ときには、慈悲のために戒めの雷をおこして慈しみの妙なる雲を大いに湧き出させて恵の自在なる雨を降らせて煩悩の炎を消す。
争いやいささかいなどで威嚇や脅迫の恐怖にあうようなとき、自在のありように落ち着いたならばあらゆる怨みはことごとく退散してしまうだろう。
不可思議な働きをもつありようであり、自在なるありようであり、量ることのできない大いなる宇宙いっぱいのありようであり、海に立つ無限の波のように無数無限のありようであり、世間のどんなものにもまされるありようである。
このゆえに人々は思うべきである。そして絶えず、疑いの心を生じてはならない。自在者は清浄であり、苦悩や死神のごとき禍をよく枯らすことを。一切の働きを供えて慈しみの眼でもって人々を見て海のごとく無量の福を集めてくることを。このゆえにまさに頭を垂れて礼拝すべきです。
そのとき、地蔵菩薩は座から立ち上がっ前に進み出てて釈尊に話された。
釈尊よ、人々はこの自在なるものの自在なる働きがあまねくあらゆるところに現れ出るというこの不可思議な力のありようを耳にしたならば、まさに人はこのことを知るべきです。この自在なるものによる恵は少なからず無量であり、釈尊仏は自在の普くあらゆるところに働いていることを示して説かれたことを。
このとき、その座にいたすべてのものたちは皆、この上ない無上の悟りを得ようとする心をおこしたのだった。
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