/ 101.中道ということ
日本には、「中道」を標榜する政党や「中道」を党名に入れた政党がある。そこに属するある政治家は、「中道」とは左にも右にも片寄らない中立の立場だと主張しているようである。また、『仏教学辞典』(法藏館)には、中道とは「両極端を離れることによって得られる、かたよっていない中正な道」としている。この辞典の言いたいのは、有でもなく無でもないことを言うのだといっているようである。なにか分かったようで分からない言い方だなあと嘆息するのは私だけだろうか。私は、政治家や『仏教学辞典』の言う「中道」は仏教の本質から外れているように思う。
前稿(「100.悉有ということ」)で触れたように、仏教は悉有仏性を説き、仏性とは空であり無自性であり縁起所生のことだと述べた。そしてこの仏性は法華経では諸法実相として展開されている。悉有なるものごとには善悪・是非・優劣などの二見を立てることをやめて、‘それがそれとしてそれしている’ありようを絶対肯定するものである。有無を離れるとは般若心経のいう「色即是空 空即是色」のことであり、それは転変流転する生き生きとした生命活動のありさまを形容したものである。私たちがほとんど無意識で呼吸し、休みなく心臓は動き、飲食したものは意識のおよばないとことで胃や腸で消化液が分泌されて栄養素となって吸収される。‘神の御手’という他ない、絶え間ない新陳代謝のおかげで私たちは生命されている。この宇宙生命の真実にしたがいもてゆくのが中道ではないかと思うのである。
共産主義であろうと自由主義であろうと、民主主義であろうと専制主義であろうと、すげての人たちが存在として肯定され、尊ばれ、それぞれが個性豊かに生命活動できる社会こそを「中道」だと政治家は言うべきではないだろうか。
先日、「国旗損壊罪」という法律が国会で可決された。愛国心を育てるためだとある政治家は言っていた。戦前、愛国心が他国への敵愾心を煽ることに利用されて数知れない大量の殺戮や虐殺を生み出した歴史があった。本来の中道からするならば、国旗を御旗にして国民を‘国家精神総動員’して他国への敵愾心と抹殺を扇動することのないようすべきだと思う。中道を標榜するならば、自国を誇りに思うことと同時に他国を認め尊重することだと主張すべきではないだろうか。また、愛国心は場合によっては時の権力を転覆させることもあることを指摘しておきたい。フランス革命や明治維新はその実例ではないかと思う。‘日の丸’のために国家転覆されることもあるのだということである。
私は尺八を嗜んでいる。一尺八寸の尺八には表に縦に四つの穴があり、裏には1つの穴がある。合計五つの穴のふさぎ方や、うた口と呼ばれる吹き出し口へのいきの吹きかける角度、息の強弱の加減などを使っていろいろな音色を出す。その加減が目的とする音に適った時、尺八全体がその音そのものとなる。一番適ったありさまを中道だといいたいと思うのである。

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