41.能登地震と羽田事故  神谷湛然 記

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41.能登地震と羽田事故

 新春早々、大変な事態である。元日の能登地震と翌日2日の羽田空港での日航機と海上保安庁機との衝突炎上事故である。
 能登地震については、昨年5月にも震度6の地震があったばかりなのだが、専門家の間ではだんだん収束していくだろうと予測していたらしく、今回の地震は‘想定外’のようだった。改めて、自然は、はるかに人知の及ばないものであるかを知らされた思いを私はした。以前から日本列島は数多くの活断層の上に載っかかっていることは指摘さてていた。にもかかわらず、断層がない地上なら原子力発電所でも支障はないとされているが、断層のない所でも新たな断層が作られて大地が大きく揺れ動いたことを今回の地震は実証してしまった。そして、私にとってもっとも以外だったのは、日本海側でも大津波が起きたことだった。日本列島は地震の巣であり、いつでもどこでも大地震が起きてもおかしくはないという認識を日本列島に住む私たちははっきりともつことを自然は教えているように思う。
 羽田事故も‘想定外’と受け止められているようだ。考えられない事故だとどの専門家もいう。能登地震の緊急物資を一刻も早く届けたいという海保機と出発の遅れている海保機をできるだけ早く飛ばしてあげたいという管制官の思いが相乗した可能性もいわれている。一つ言えることは、ヒューマンエラーはなくせないということである。かといって、機械に頼っていいとも私には思えない。日航機の乗客・乗務員の100%生還はCAによる的確な判断と誘導があったことがいわれている。機長とのインターホンやマイクは壊れて使えず、CAはメガホンで大声で案内しながら開けるべき非常口を選択してシューターを下して乗客を誘導したという。もうもうと立ち込める白煙と熱気、燃え広がる炎と爆音のなかでよくぞ全員脱出できたものだった。何回か飛行機に乗った私だが、当分の間、飛行機に乗る気分になれない。
 いつ、どこで死んでもおかしくない、そういう境遇のなかで、‘生きて生きて生き抜くんだ’という「永遠のゼロ」の主人公の叫ぶように、ありがたき生命を許される限り燃やさせていただく、生きるとはそういうものだと私は思う。

1957年奈良県生まれ。1981年3月名古屋大学文学部卒。書店勤務ののち、1988年兵庫県浜坂町久斗山の曹洞宗安泰寺にて得度。視覚に障害を患い1996年から和歌山盲学校と筑波技術短期大学にて5年間、鍼灸マッサージを学ぶ。横浜市の鍼灸治療院、訪問マッサージ専門店勤務を経て、2021年より大阪市在住。
 仏教に限らず、宗教全般・人間存在・社会・文化・政治経済など幅広い分野にわたって配信しようと思っています。
このブログによって読者のみなさまの人生になんらかのお役に立てれば幸いです。
         神谷湛然 合掌。

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